小説を書くきっかけ

初めまして越路琉衣と申します。

まずは自己紹介を。横浜生まれの仙台育ちな、昭和生まれの平成育ち80年代生まれです。

そもそも小さい頃はそんなに読書家ではなく、読んでも少女漫画や歴史が好きなので学習漫画を読むことが多かったです。そんな人間がなぜ書くことに目覚めたのか?それは小学校3年生でのある出来事と祖母の死が関係していると私個人は思っています。

それは仲の良い友人からの頼み事からでした。好きな同級生の男の子がいるからラブレターを出したい。それで書くことが苦手だから私に代筆してほしいとのことでした。私も友人の頼み事ならばと快く引き受けたんです。

しかしこれには裏が隠されていました。名前まで私の名前で書いて出してほしいと!これには疑問を感じましたが、友人の手前指摘することが出来ず、私の名前で出してしまったんですね。すると翌日にはクラス中にラブレターの噂が広まって、私はみんなに問い詰められたんです。その時ちょっと離れたところで友人が、ニヤッとした表情でこちらを見ていたんです。そこで初めて私は嵌められたことに気づいたんですね。

それからというもの、その友人とも縁が切れましたが、クラスメイトからの問い詰めは結構続いたんですね。私はだんまりを決め込めば収まるかなと思い続けたら、皆痺れをきらして去って行きました。だがここからが問題で、今まで通り学校で話せなくなってしまったんですね。友人に嵌められたというショックから「場面緘黙症」になってしまったのです。それから小学校を卒業するまで話すことができなくなりました。筆談でのやり取りもありましたし、私にとって学校生活は楽しい場所からしんどい場所へと変化しました。

そんな中、喋ることが出来なければ作文で思いを伝えてみようと考え始めます。最初は思ったことを率直に書いていたのですが、意外に担任からの評価を受け学級通信などに取り上げられるようになりましたね。

緘黙症発症から一年後、病で祖母が亡くなり、私は一人っ子で家での遊び相手がいなくなったことで、最初はゲームをやったり、テレビを観ていたりしましたが、どうも飽きてしまい(笑)他の遊びはないものかと考えた時に、小説まではいかない拙い物語を書き始めたんです。最初はテレビドラマの焼き回しのような内容の話でした。それからどんどん創作活動が好きになっていったんですね。

その後小学校を卒業するのですが、学区制により私が住んでいた地域だけ、別な小学校の卒業生たちと合流する中学校へ進学しなければならなくなったんですね。不安もありましたが、かえって知らない人ばかりが良かったのか、中学生になってから普通に学校で話せるようになりました。

それからしばらく小説を書かない時期もありましたが、東日本大震災を期に、これではダメだとまた書き始め、小説の新人賞に投稿し始めて四年目になります。(毎年出してるわけではありませんが…)

ざっと自己紹介をして参りましたが、次回は趣味のことなどをご紹介していこうと思います。


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