福の神

私がまだ四つくらいの頃、仲の良かった友達が神隠しにあった。卵に筆で描いたような、お雛様みたいな顔立ちをしたみやこちゃん。私はいつも「みやこちゃんはおひいさまみたいだねえ」としみじみ言っては、「かよちゃんのほうがおひいさまだよ、あんなにりっぱなおやしきなんだから」と笑われていた。みやこちゃんは、長く、毛量の多い髪をいつも三つ編みにしていて私は「しめ縄みたいだな、みやこちゃんは神様なのかもしれない」と思ったものである。

七年に一度の大きなお祭りの日、私は父に強請ってみやこちゃんと一緒に連れていってもらった。毎年のお祭りとは違う、賑やかで、少し緊張感のある空気に私は浮かれていた。みやこちゃんもその日はいつもより綺麗なべべを着て、かたちの良い唇をニンマリと結んではしゃぎたい気持ちを堪えているようだ。

日が落ちてくると、神楽の音が聞こえてきた。父は祭りの仕事があるから、みやこちゃんと神楽を見ていなさいと言って立ち去ってしまった。終わった頃に迎えに来るからと。狭い村でみんな顔見知りとはいえ、日が落ちた神社で友人と二人取り残されるのは心細く、私はみやこちゃんの手をキュッと握る。みやこちゃんも同じ気持ちだったのか、しっかりと握り返してきた。
あの時、私は何故みやこちゃんの手を離してしまったのか……今では後悔も尽きないが、初めてみる立派な神楽に夢中になってしまったのだ。気付けば繋いでいたはずの手を離し、自分の手をグッと握りしめていた。神楽が終わり、熱気がスゥと引く。私は我に返って、隣にいたはずのみやこちゃんを探した。何処にもいない。ドキリ、と心臓が跳ねる。忽ち早鐘のようにドキドキとして、冷や汗が出てくる。父もいない、友人もいない。もしかしたら二人とも私のことを探しているのかも。走り出そうとした時「ただいま」という父の声がして、私は一気に安堵した。ああよかった、迎えに来てくれたのね。しかし父は一人ぽっちで、みやこちゃんの姿は隣になかった。
「おとうさま、みやこちゃんがいないのよ」そう言うと、父は一瞬動揺したように見え、たちまちキュッと唇を結ぶと「大人で探してみるから、お前は一度家に帰りなさい」と私の手を引いて歩き出したのだった。

みやこちゃんは次の日になっても、その次の日になっても、秋になり、冬になっても見つかることはなかった。私の家の奥座敷に大人たちが頻繁にやってくる。みんなみやこちゃんを探しているようだ。
「ねえ、みやこちゃんはまだ見つからないの。こんなに探しているのに」或る日私は耐えきれず、奥座敷から帰るために母屋の廊下を歩く男に声を掛けた。男は困ったように笑うと「京ちゃんはあんまり可愛かったから、神様になってしまったんだ」と答えた。
「神様に連れていかれた」ではなく「神様になってしまった」。その言葉の違和感に気付くには、私は余りにも幼過ぎたのです。なんとなく、もうみやこちゃんには会えないのだと諦めて、私はみやこちゃんがいない日々に慣れていきました。

そうして私は十三になりました。奥座敷にはまだ、村の男たちがやってきます。
そして、十三になった私には家の仕事が与えられました。奥座敷の神様へ、日々の供物を届ける仕事です。私と同じ食事が供えられた膳を、奥座敷まで運びます。長い廊下を歩き、そっと扉を開ける。窓のない奥座敷は暗く、ヒンヤリとしていて私は少しゾッと致しました。灯りをつけ、奥へと進みます。奥には小さな座敷牢がありました。座敷牢には眼を紅い糸で縫いとめられた「神様」がおりました。長い長い黒髪を注連縄のような三つ編みにして。永く日に当たっていないことがわかる真っ白の肌に、紅い糸が美しく、私は泣いてしまいました。私ももう幼い子供ではありません。それが四つの時に居なくなってしまった京ちゃんであることは一目で分かりました。京ちゃんは、人が入ってきたことなどどうでもよいというように、ぷいと何も無い壁の方を向いてしまいました。
そうして私は納得したのです。なぜ奥座敷に来るのは男衆だけなのか。みんな手土産や、時にはお金を持ってくるのか。そうして京ちゃんは何をされているのか。

私は少しだけ、安堵してしまいました。神様になったのが私ではないことに。神様がいることで、私の家族が裕福でいられることに。
「ありがとう」と私は口の中で呟いて、奥座敷を後にしたのです。


いなか、の、じけん

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