来訪者

都内で一人暮らしをするOLの裕子(仮名)さんから聞かせてもらった話だ。

裕子さんは25歳の頃、引越しをしたそうだ。
「就職を機に契約したアパートはぶっちゃけ家賃が安いことが最優先で……凄く古いし安普請で。契約期間も終わるし、少しお洒落な所に住みたいなと思ったんです」
そうして見つけたのは、築年数こそそれまで住んでいた所とそう変わらないがリノベーションされ、白を基調としたお洒落な部屋のアパートだった。
「外観も多少手を入れられて綺麗だし、何より家賃がそれまで住んでいたところとそう変わらなかったんです。こんなに綺麗にしてあるのに、やっぱり築年数が経ってるからかなって」
特に気にすることも無く、裕子さんは2階の角部屋にあたる206号室を契約した。暮らし始めると、住人が少ないことが気になり始めた。
「契約するときは良かったんです。部屋選べるじゃん、ラッキー位で。隣の205も空き部屋だし、真下の106も空き部屋で。多少引越しとかでバタバタ音がしても安心だなって思ってたんです」
その部屋で生活を始めて3ヶ月ほど経ってから、妙に空き部屋の多さが気になりだしたという。
「私が引っ越してきたのが3月の下旬で。お洒落だし、家賃安いし、すぐ埋まるだろうって思ってたんですけど。いつまで経っても全室埋まる気配はなくて……結局半年経っても隣も下も空き部屋のままでした」

異変が起きたのは、裕子さんが引っ越してきてから1年近くが経った3月の上旬だった。空き部屋だった106に遂に新しい住民がやってきたという。
「引っ越してきた日に今どき珍しく、きちんと挨拶に来てくれました。歳は30くらいかな、きちっとした感じのいい男性でした」
今までより少し物音に気をつけながら、裕子さんはそれまでとそう変わりない生活を送っていた。5月も下旬になったころ、仕事から帰ってきた裕子さんが食事を終え、そろそろシャワーでも浴びようかと思っていたときチャイムがなった。
「来客の予定はないし、え?と思いました。時計を見ると21時を少し回った頃で。もしかしたら宅配便が配達遅れてこの時間になったのかも、と思ってインターフォンで対応したんです」
はい、と声をかけつつモニターを確認すると女性が立っていた。裕子さんとさほど歳の変わらない、ごく普通の女性だったという。
「オフィスカジュアルというか、そんな感じの小綺麗な服を着た割と可愛らしい女性でした。友達か恋人の部屋と間違えてチャイムを押したのかもって思ったんです。あのアパートって部屋番号が分かりづらいところに書いてあったから、郵便物の誤配もよくあったし」
裕子さんが部屋を間違っていませんか、と声を掛けようとした時その女性が口を開いた。「マクラギョウをあげさせてください」
「え?と思いました。マクラギョウって何?枕経?お坊さんでもないこの子が?って。そもそも私しか住んでないし、枕経なんて必要ないのに。枕経って死んだ人の枕元であげるお経ですよね?私気持ち悪くて。すぐに間違えてますよ、うちは必要ありませんってインターフォンをオフにしました」
裕子さんはシャワーを浴び、布団に入っても突然の来訪者の存在が気味が悪くて仕方なかったという。
「とにかく全部がミスマッチだったんです。これで女の子が喪服でも着て、暗い声で言ったならタチの悪いイタズラだと思えたんですけど。インターフォン越しで色ははっきり分からないけど、明るい色の服を着た女の子が、まるで友達に話しかけるみたいなトーンで「枕経をあげさせてください」っていうんですよ。全然意味がわからなくて」
兎に角寝て忘れようと思い、裕子さんは眠りについた。次の日も、その次の日も変わったことは起きず、裕子さんはやはりタチの悪いイタズラだったんだと安心していた。しかし、1週間が経とうというころまた同じ女が来たという。
「やっぱり21時頃でした。チャイムがなって。もしかして、と思って声を掛ける前にモニターを見るとあの女でした。こちらが黙っていると、モニターに向かってニコニコしながら「すみませーん、枕経をあげさせてください」って。私怖くなってしまって、黙ったままインターフォンをオフにしました」
それからも、その女は週に1度くらいのペースで裕子さんの部屋のチャイムを押したという。枕経をあげさせてくださいという明るい声と共に。
「あの女が来るの、同じ曜日って訳じゃないし何か規則性があるなかなと気になって。カレンダーに印をつけていったんですけど。六曜でいう赤口なんですよね。仏滅でも、友引でもなくて赤口。その規則性に気付いてからは、赤口の日は22時近くに帰るようにしました。21時頃、1度来るだけですからそこからはあの女を見ることはなくなりました」
ある日自分が居ない時には来ていないのかと、インターフォンの履歴を確認したことがあるという。
「私が部屋に居なくても、変わらずあの女は来ていました。留守ですから、インターフォンを切る人間がいないですよね?録画されてる時間いっぱい「すみませーん、枕経をあげさせてください」「故人様に枕経をあげさせてください」ってニコニコしながら繰り返すあの女が映っていました。ゾッとして録画ごと消して、それから確認することはありませんでした」

裕子さんは2年の契約期間を待って、更新のタイミングで引越しをしたという。赤口の日の21時頃さえ家に居なければそれまで通りの生活を出来たから、更新を待つことができたそうだ。
階下の住人が越してきたタイミングからということは、その人となにか関連があったのでは?と聞いた私に裕子さんは答えた。
「106の人が亡くなったりすれば、なにかあったのかもって思えるんですけど。偶にすれ違っても変わらず感じのいい人だったんですよね。あれはあの人が原因って訳じゃないと思います。多分アパートが原因ですよ。あのアパート、上下並んで埋まってるの私が住んでた206と106だけなんです。他は必ず上か下が空いていて……よく分からないけど、きっと並びで埋まると何かあるんでしょうね」

そのアパートは今は取り壊され、売地になっているという。

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