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暖かな日差しと温かな手

ようやくわが町にも春の兆し。お彼岸の頃が来ると毎年ホッとする。みるみる雪が積もる恐ろしい景色と雪かきにへこたれつつ、今年もなんとか乗り切った。

わたしが暮らす北陸は「弁当忘れても傘忘れるな」という言葉があるくらいお天気が変わりやすく、雨が多い地域である。冬は特に日照時間が少なく、移住者の中にはうつ病を発症する方がいらっしゃるほどだ。日光を積極的に浴びてセロトニンの分泌を促すといいそうだけど、それもなかなか難しい。

穏やかに晴れた日には小さい人と手を繋いで散歩にゆくのが楽しい。花の香りを嗅ぎ、活動し始めた虫を眺める。見つけたタンポポを髪に挿し「かわいいね」と言い合う。久しぶりの暖かい日差しと手の温もり。こういうのを幸せと言うのだろうな。

コロナ禍3度目の春。「触れる」ことは感染予防の意味でタブーとされ、これからもきっとそうだろう。しかし医療の現場にいるとそうも言っていられない。

わたしは小さな町医者で働いているのだけど、それでも触れる事での情報収集は多いし、患者さんに安全に移動していただくために手を引かなければならない場面は少なくない。

普段は誰からも欲してもらえない自分の手が役立つのは嬉しいものだ。洗って消毒して、その手はいつも冷えている。でもここぞとばかりに「手を引きましょうか?」と声をかける。「手が冷たくてごめんなさいね」と言いながら相手の体温を感じる瞬間がやっぱり好き。

看護技術において「タッチング」という言葉がある。タッチングとは、非言語的コミュニケーションの一つで患者さんの身体に触れることを言い、マッサージなどの治療目的、測定や清拭などの処置目的、苦痛・不安の軽減や励ましなどのコミュニケーションを主体とした共感目的、に分類される。

もちろん対象者の痛みの緩和、安心安楽を得る、信頼関係を生む、などを意図して行われるのだが、実際に人と触れ合うという行為は施行者への癒やしや気持ちの安定にも効果があるような気がしてならない。

待ち望んだ春だが、今年もモヤモヤした不自由な春だ。マスクを外し、堂々とコミュニケーションを取れる日が来ることを切に願う。日向ぼっこでもして少しずつ健やかさを取り戻していきたい。

『微かな春の匂い 口にされた言葉と思い
言葉にならないこの気持ち 実現しなかった希望
行き場を失い嫌になるけど
次にやってくる風が僕の涙を乾かすの』