ショートショート『記憶』
仕事を辞めてしばらく旅にでも出ようかな、と考えていた頃の事。
何気なく見ていたテレビには、とある鉄道博物館の映像。大きく映し出されたSLを見た瞬間、なぜか『ここへ行かなければ』という思いに駆られた。
翌日もその思いは膨らむばかり。呼ばれているような気がして、思い切って訪れることにした。
8月の暑い盛り、吹き出す汗を拭いながらたどり着いた博物館は、自然の中にひっそりと建っていた。
引き寄せられるようにあのSLの展示室へ向かった。込み上げる思いに戸惑いながら、そっと車体に触れてみると、熱い。燃えるように熱い。
その刹那、たくさんの機器や釜の赤い炎が見え、大きな汽笛の音、たくさんの人の声が体の中を一気に駆け巡り、思わず気を失いそうになった。
ハッと我にかえると、心配した職員さんが側に付いてくれていた。詳しく聞けば、このSLは戦火を逃れ、戦前から戦後まで貨物や軍事物資を運んで活躍したそうだ。
『また会いに来るからな』と語りかけてもう一度触れてみると、もうそれは硬くて生ぬるい、いにしえの鉄の塊だった。
夕方の風が吹く帰り道、『もう少し頑張ってみるか』と呟くと、遠くで汽笛の音が聞こえたような気がした。