飛車落ち戦記~対瀬川晶司六段

ねこまどオンラインにて瀬川晶司六段の指導対局を飛車落ちで受けました。瀬川先生には飛車落ちでこれまで1勝1敗です。ここで勝ち越して飛車落ち卒業に近づきたいところです。

まずはいつもどおり、遠山流"elmo囲い+右四間飛車"で駒組みを進めます。上手が駒組みに少し変化を加えて、次の局面を迎えました。

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この88から▲66角と移動しただけの手は、少しぼんやりしているように見えるかもしれません。実際AIによると、▲25歩や▲45歩と仕掛ける手も有力のようです。しかし私はここで"上手の指す次の手にプラスになる手はない"と判断し、1手パスのような▲66角を指しました。例えば、△73桂は桂頭に傷ができますし、△63金は4筋の守りが弱くなります。また72玉が自然なようですが、守備の金銀のブロックからは離れることになります。そしてなによりも、私がよく調べている配置に近くなるため、私にとって戦いやすくなるメリットがあります。

実戦は上手が
△63金
を選び、私は
▲25歩 △同歩 ▲45歩 △同歩 ▲同桂 △44銀 ▲33桂成 △同銀
と仕掛けました。

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瀬川先生は前回の指導対局でも同様の局面に進んだことを覚えていて、単に桂馬を取り返す順を選ばずに変化して△44銀を選んだとおっしゃっていました。この局面では次の一手のような厳しい手があります。

▲24桂 △42金 ▲43飛成 △同金 ▲32桂成 △55桂 ▲22成桂 △同銀

この▲24桂に△同銀と取り返すと、▲22角成△同金▲43飛成と上手陣に龍を作ることができて、寄せのわかりやすい局面になります。このため、▲24桂に上手は△42金と応じるよりないのですが、▲43飛成から飛車と桂馬を捌くことができて、下手の有利は拡大します。

迎えた次の局面は手が広く、どのように指すべきが迷いました。

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角の打ち込む手としては▲41角、▲32角、21角が考えられます。自陣の角を活用するためには▲55銀があります。また、浮き駒の金を寄せ上手の飛車打ちに備える▲59金も考えられます。これらの手はどれもおおよそ+2300程度の評価値を示していてどれも有力な手のようです。現状は下手がかなりうまく指せているといえます。

対局中、この局面で一番指しにくいと感じていたのは▲59金でした。しかし、感想戦で瀬川先生は”ここで▲59金と寄れるようになれば、飛車落ちの卒業も近づいて来ますね”とおっしゃっていました。
局面の良さは意識していましたが、駒の損得はほぼゼロなので、積極的に指さなければこの優位は消えると考えていました。
確かに冷静に見れば、上手陣は1手ではまとめることができないほどバラバラです。また、上手が飛車を下手陣に打ち込んでも単に味消しにしかならない局面で、上手にとって有効な指し手が見つけにくい局面だと思います。

実際に私が選んだ手は
▲32角 △53金 ▲21角成 △41飛 ▲22馬 △49飛成
で、金を取られつつ龍を作られ、いい勝負に戻ってしまいました。評価値は+900程度の局面ですが、龍が攻防によく利いていて、下手には難しい局面になってしまいました。

この上手の△41飛の馬金両取りの反撃を消すためにも、その前の▲59金は必要な一手でした。AIは▲21角成に代えて、▲44歩や▲43歩をなどで飛車による金との両取りを消す手を示していますが、こちらのほうがその後の手の作り方がわかりにくいように思います。

▲59金と一手渡すことで、下手の攻撃の威力は増し、上手は対応に困っているようです。

このあとは2枚の角をうまく活躍されることができず、攻めが重くなり、負けてしまいました。

今回は手渡しの手を2つ紹介しました。
研究の範囲内では安心して手渡しできますが、手が進んだ局面で手渡しする勇気はなかなか出ません。直接的な手を選ぶほうが読みやすいので、持ち時間に限りがあると、どうしても手渡しを読む優先度を下げてしまいがちです。しかし、相手に自玉や自玉付近の駒に直接迫る手がない場合で、相手陣の状況が一手で良くなってしまわない場合は、自陣の浮き駒などに手を入れる手も検討すべきですね。


少し話は変わりますが、この日は対局の他にも瀬川先生にお話できることを楽しみにしていました。
瀬川先生の安恵門下の先輩に小野敦生六段という私と同じ北海道旭川市出身の棋士がいます。もう30年近く前に若くして急逝されてしまった方です。瀬川先生の自叙伝”泣き虫しょったんの奇跡”には小野先生との交流が描かれているので、ご存知の方もいるかも知れません。私はごく最近この自叙伝に小野先生との交流が載っていると知り、本を購入し読みました。

私が将棋界に目を向けはじめた頃に亡くなってしまったので、直接お会いする機会はありませんでした。しかし、毎年お盆には追悼将棋大会が行われ、数名の棋士の先生方が来て指導対局をしてくださっていました。私が初めてプロ棋士の指導対局を受けたのも(室岡先生)、初めて2枚落ちでプロ棋士に勝ったのも(小林宏先生)その大会でした。小野先生は高校選手権の団体戦で全国優勝されていて、将棋部の活動が盛んになった同じ高校に私も進学し、将棋を続けました。

当時の旭川市では子供が将棋を指せる機会も少なかったので、小野先生のつくられた縁で将棋を指せたことに大きな影響を受けたと感じていました。一方で、小野先生についてはほとんど知る機会がなく、残念の思っていました。北島忠雄先生にもお話をお伺いする機会があったのですが、瀬川先生とおふたりとも、小野先生はとにかく優しい人だったと話されるのが印象的でした。

また、一方的ではありますが、小野先生や指導に来てくださった先生方への感謝を話すことができてとても嬉しかったです。

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