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土へ還った私の大切な、叶

黒かった鱗に最期に触れた時、埋葬した時、その重みはただの有機物としての重さではなく、想いや命そのものの重みだと感じた。涙が抑えきれなかった。

出逢いは、1月の浅草の初詣。夏祭りにおっちゃんが気前よくフレンドリーにやっている出店のような場所。『金魚すくい』のフラッグを見た時、すぐに幼少期のあの高揚感を思い出した。

「やりたい!絶対とる!!」
そう口にした私を呆れながら見守る母と弟。小さい子がポイを片手に笑顔で奮闘する中、真面目な顔をしておっちゃんに話しかける私
「2回やらせてください!!」
受け取ったポイとボウルを手に、意気込んで金魚たちが泳ぐプールと真剣と向き合う17歳の姿。笑える。でも、振袖を着たお姉さんたちや色んな方が立ち止まり見守ってくれた。

1匹でもお持ち帰りできればいいなと思い、結局4回やった(そのうち一回は弟)が、成果はまさかの大きな黒い出目金。
これに興奮した私は思わず、おっちゃんに
「え!?これってあり!?おけまる??おけまるだよね??」
なんてタメ語で話してしまっていた。
あの金魚を入れるビニールで狭そうに身体をくねらせるその黒い生き物を片手に私は高揚し、堂々と写真なんかも撮った。(その後、振袖のお姉さんたちも挑戦していた)

この瞬間からだろうか、愛着や慈愛なんてものを抱いたのは。
帰りの電車の中で何度となく
(狭いよね、ごめんね、すぐ大きいところに離してあげるから待っててね。死なないでね)
そう思い、訴えていた。

せっかくだから名前を付けたい。なんて思ったのが間違いだったのだろうか。私は安易に『叶』と命名した。(家族が全員おみくじが凶だった、厄年、推しの名前、からつけた)
それから次の日には育てるために色々な物を揃えて、その度にわくわくして、喜んでくれるかな?なんて考えた。
ある時「この大きな水槽に1匹だと可哀想だね。」ともう1匹お迎えすることになった。その子が今、目の前で元気に泳いでくれている『恵』。

この2匹が揃い、底石や置き物、水草などを飾ったアクアリウムが私の部屋にやってきた。
ある日は、餌を奪い合う2匹の姿に笑い、少し足してあげたりもした。
またある日、恵くんは私が近寄ると餌をくれると気付いたのか、きょとんとした目で綺麗な尾鰭を揺らめかせるのに対し、叶くんは何も気付かず、ゆらゆらと快適そうに泳いでいた。そのコントラストに癒しをもらった。
毎日、餌をあげるときに待ってましたと言わんばかりに頬張る姿をぼーっと眺めては5分経っていたなんてこともあった。
辛いとき、私が死んでも君たちはゆらゆらと泳いでいてね。

などと願った時もあった。

かなう!かなう!いっぱい食べすぎないようにね!めぐみが可哀想でしょ〜まあでもそんな姿がかなうだもんね!

そんな言葉をかけられない。もう、かけられない。
私が君にどれだけ癒しを貰ったことか。私がどれだけ愛着を持って見守っていたことか。君はわからないのかもしれないけれど、それでいい。せめて元気でもっとたくさんの時間を一緒に過ごして欲しかった。ただ、それだけ。それだけ。

金魚にこれだけ愛着を持っているのはおかしいのでしょうか?客観視は常々大切にしていることですが、今だけはそんなことができません。

ただ、悲しい。ゆらゆらと優雅に無邪気に泳ぐ姿に癒しをもらっていただけのはずなのに。こんなに悲しくて寂しくて辛いなんて。お風呂の中でこれでもかと涙を流した。

土へ還る叶は、天国にいけたかな。金魚掬いで出逢ったから、どれだけ生きていたのかは分からないけれど長生きできていたらいいな。私の愛は伝わっていたのかな。素敵な夢をみているかな。

ありがとう。私のもとで暮らしてくれて。
ありがとう。沢山の癒しをくれて。
ありがとう。家族を喪う辛さを思い知らせてくれて。

ありがとう。恵と仲良くしてくれて。
恵、叶の分まで長生きしてね。

おやすみなさい、良い夢を。生まれ変わったら教えてね。

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