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涙に変わらない思考

noteを使うのは1年ぶりらしいです。
自分でも驚いています。
それはさておき、最近は雨の日が少ないですね。
なんだか、寂しいです。だって雨は全てを洗い流してくれるから。

雨の日が何故好きなのか。そう考えてきた時間は、ひとの何倍もあると思っています。
雨は静かな空間を作ってくれる。雨は外に出ない自分を肯定してくれる。雨はその音が心地良い。雨は、雨は。何度も考えてきました。どうして自分はこんなにも雨が好きなのだろうと。

「晴耕雨読」という言葉があります。その字の通り、晴れの日は畑を耕し、雨の日は読書を嗜むという意味。しかし、どうもこの言葉、自分とは反りが合わないようです。晴れの日に外へ出る?雨の日は読書を嗜む?たしかに至極真っ当なことでしょう。だけれど、自分にとって晴れの日も雨の日も言葉に触れていたい。そんな想いがあるのです。

笑い話ですね。先人が作った四字熟語にケチをつけるなんて。
でも、思考や言葉はいつ何時も脳内を駆け巡り、私の涙や欲に変わり、それが瞳や指先にまで伝い、誰かに認識して欲しいと嘆きます。

今も。いまこの瞬間も。怖かった。怖かった。泣きたいほど心臓が痛いのに涙は一筋も流れることなく、言葉を書き留めろと、言葉と思考を書き殴れと、そんな自分がいたのです。

あぁ、まだ止まらない。何を言葉にしようか。何を書こうか。

夢、将来の夢、なんて小学生の作文じみた話題はどうだろう。
私は近い将来、書店でアルバイトをしたい。いつでも物語が身近にあるあの場所で働きたい。大学では何を学ぼうか。世界の歴史学、哲学、社会学、日本文学、心理学…色々なことを学びたい。そして、いずれか編集社に務めたい。
編集に携わることは、私の小さな頃からの夢だったように思う。昔は書く方も興味があったが、その才能は短文にしか発揮できず、どうしようもなく陳腐なものだ。だったら、だったらせめて文章に携われるような…校閲や編集の仕事をしたい。これは確かな将来の夢だと言える。

さっきから、やりたい、だの、したい、だの願望ばかり述べていますね。わかってるんです。自分でも。それを実現するためには?まず何をするべき?何を始めるべき?何を考えるべき?
わかっているはずなのに。将来の夢をぶっ壊そうとしているのは今、この文章を書いている自分です。今すぐとは言わない。だけれど、もう一度思い出してよ。もう一度、目標に向けて努力する楽しさを思い出して欲しい。

部屋にあるアクアリウムは無機物のみの置物。机の上はとても勉強に取り掛かれる状態ではない。ふと視線を上げるとそこには1年前から目標にしていた大学の赤本がある。あの日、誓ったのに。その赤本を見る度、思い出すことがある。固いと思っていた決意が、ただのその場限りの自己満足だったことを。

私は私にいつの間にか呪いをかけてしまったのだと思う。

あぁ、これくらいでいいかな。満足かな。眠れるかな。羊が何匹必要だろう。だれかの瞳に映る文字が認識される時、私は幸福な満足感を得ることができるのだろうか。

いい夢を。あわよくば、あわよくば、生まれ変われますように。ピアスの似合う真っさらな女の子に。

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