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ラグビーの魅力を知ってしまうことの危険について(ラグビー漫画『インビンシブル』単行本1巻収録)


「ラグビーは危険だ」という人がいる。筆者はラグビー専門ライターだが、全面的に同意である。ラグビーは人を狂わせる危険がある。本書『インビンシブル』はラグビーの魅力を存分に伝えており、あなたの身にも危険が迫っている。

ラグビー界に足を踏み入れ、元の世界に帰ってきた者はいないのである。ラグビー経験者のほとんどが拉致による強制入部がきっかけだが、「入らなければよかった」と答える者はいない。多くのラグビー大会は基本的に無給のボランティアにより運営されているが、誰もが「大好きなラグビーに関われるだけで幸せだ」と答える。もう一度言わなければならないが、ラグビーの魅力を知ってしまうことの危険があなたに迫っている。筆者はすでに手遅れである。

「プレー自体が激しく危険なのだ」という人もいる。たしかにラグビーの試合をひと目見てもらえれば分かる通り、そこがラグビー場でなければ全員逮捕だ。法律家にしてみれば暴行罪が連続している状態だろう。卑屈なまでにラグビーを擁護する立場をとっている筆者も、将棋よりは危険であるということについては認めている。

しかしながら、ラグビーを要約すると「ゴリラ対ゴリラ」になると思っている方にとっては意外だろうが、ラグビーにはルールが存在する。しかもかなり厳格なのである。日本の少年漫画は伝統的に「人はキレるとパワーアップする」という危険な刷り込みをしてきたが、ラグビーではキレると全員に迷惑が掛かるようになっている。「クリリンのことかー!」とキレても、ラグビーで仲間は救えない。我を忘れて正確なプレーができなくなると反則を取られ、全員で罰を受ける。

そんなラグビーのルールは近年、危険なプレーに対してさらに厳しくなっており、危険なプレーを見たがる一部のファンを困らせている。しかし大多数の良心的なファンは「危険なスポーツ」からの脱却を歓迎しているようだ。いまやラグビーは安全面への配慮から「そこそこ危険なスポーツ」に発展しており、いずれ「まあまあ危険なスポーツ」になりそうである。

そもそも、人を狂わせるほどのラグビーの魅力とは何だろうか。列挙してみると、ノーサイドの精神、多様性文化、ラガーマンの紳士的態度、自己犠牲の精神、多彩なポジション・・・。数えたら円周率の桁数と同じだけあった。

そんなにあるはずがない、そもそも数えられないという方は、2019年のラグビーワールドカップの大会ダイジェストで体感する方法が手っ取り早いだろう。いやいやそれでは涙で前が見えないという方は、「笑わない男」として有名になった稲垣啓太の生き様を追いかける方法がある。稲垣はラグビーの魅力の85パーセントくらいを一人で表現している。

それか危険を承知で、本書を読むか、である。

主人公の原田スコット春介は、ラグビー王国ニュージーランドに留学していたスクラムハーフだ。9番を背負うスクラムハーフは替えの利かない専門職。攻撃ではパス、キックでチームの前進をデザインするゲームメイカーであり、守備では声でディフェンスラインを統率する猛獣使いだ。小柄でも世界トップレベルで戦うことができ、ラグビーの多様性を象徴するポジションのひとつと言えるだろう。

チームメイトもどこか常軌を逸した個性的な面々が揃っており、すでに芳醇な楕円球文化が薫っている。ラグビーの魅力を堪能してしまう本書を開くか、閉じるか、いよいよ決断の刻が迫っていると言いたいところだが、考えてみればあなたはすでに本書を手に取り、ページをめくっている。もしかしたら手遅れかもしれない。

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2021年2月より連載されたラグビー漫画『インビンシブル』(著・瀬下猛/講談社モーニング)の単行本全5巻に寄稿した「ユーモアコラム」5本で…

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