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「ラグビーの合宿について」(単行本3巻収録)


ラグビーの合宿には2種類ある。厳しい合宿と、めちゃくちゃに厳しい合宿だ。すでにお気づきだと思うが、つまりラグビーの合宿はどのみち厳しいのである。この世のどこかに厳しくないラグビー合宿があれば見てみたいが、お目に掛かったことはない。

そんな厳しいラグビー合宿だから、さぞかし脱走者も多いはずと思われるだろう。しかし日本ラグビー界では「菅平」という監獄がよく機能しており、脱走者は皆無である。

長野県の菅平高原は、100面以上のラグビーグラウンドを擁するラグビー合宿のメッカだ。毎年夏になると全国のチームが下界と隔絶した標高1300メートル超の菅平に集結し、ラグビー人によるラグビー人のためのユートピアを建国する。入国にパスポートの提示義務はないが、入り口で理性を預ける必要がある。そのため同国内の人びとはまともな思考力を失っており、菅平のコンビニで働いている女性店員を「俺に色目を使っている」と思い込んだり、ショップで「二度と来るもんか」と胸に書かれた名物Tシャツを買っておいて、翌年にまた来たりする。同様の理由で、人権のないディストピアをユートピアだと思い込んでおり、そのため脱走という発想がない。よって脱走者が皆無というわけである。

チームによっては合宿が通過儀礼の役割を果たしている場合もある。合宿を経験して初めて一人前の部員、というわけだ。通過儀礼といえばバヌアツ共和国ペンテコスト島における「ナゴール」が有名だ。木組みのやぐらから飛び降りる成人の儀式で、バンジージャンプの原型といわれている。ラグビー合宿もナゴールと同様、勇気やタフネスを試す試練だが、ペンテコスト島の若者たちは毎年ナゴールをやっているわけではないだろう。一方でラグビー合宿は全員参加であり、新人以外も毎年通過儀礼に付き合っていることになる。いわば毎年ナゴールをやっている異常な世界である。

こんな風に書いてしまうと、いまだラグビー界には悪しき根性合宿が蔓延しているかのようだが、これらは過去のデフォルメだ。現代は組織論に基づいたロジカルな合宿が行われている。作中で小倉ホワイツが行った“島合宿”がまさにそれだ。

小倉ホワイツの新ヘッドコーチ(HC)は、カウボーイハットを被った「ハレさん」ことロバート・ハレルソンだ。HCは戦術立案も担当するピッチ内の最高指揮官だが、ハレさんはピッチ外の組織作りにも長けている。

まずハレさんは、選手たちを瀬戸内海に浮かぶ“地図から消された島”に連れ出す。ここまでは「強制連行して軟禁する」という古典的な合宿だが、この先が現代的だ。単行本2巻の最後、ハレさんは合宿初日に「小倉」というテーマと共に、翌日までのオフを与えたのだ。これは選手間のコミュニケーションを増やし、「寄せ集め集団」を「チーム」にするための工夫だった。ここで話し合いを指示するのではなく、「小倉」というテーマだけを与え、あとは選手に委ねている点が自主性を重んじるニュージーランド出身の指揮官らしい。同国出身で2019年のラグビーW杯で日本代表を率いたジェイミー・ジョセフHCも、選手に自主自律を求めるタイプだ。

かつての合宿は猛練習によってチームの一体感を醸成してきた。しかし現代では積極的に対話手法が用いられている。対話を通して相互理解を深めることでコミュニケーションを増やし、一体感を醸成するのだ。こちらの方が自然かつロジカルで、何よりも厳しくない。筆者は高校大学のラグビー合宿で理不尽の極地を経験した。あれは一体何だったのか――。そう問うてみても、乾いた風が吹き抜けるばかりである。


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