僕がラグビー登山家になるまで

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僕がラグビー登山家になるまで 現在 | 僕は全てはうまくいく話。

企業にスポンサーをお願いしても99%断られる。ネット上にある誹謗中傷に眠れない日もあった。弱気になろうと思えば、いくらでも弱気になれる。辞めようと思えば、いつだって辞められた。 しかし、バカだ。アホだ。と言われ続け、悔しい思いでいる事の方が圧倒的多い中でも、自分の信念を貫いた先には…

僕がラグビー登山家になるまで 32歳 | サンティアゴ巡礼の話。

僕は巡礼地を歩くのが好きである。日本で言えば、学生時代に四国お遍路八十八ヶ所、社会人になっても熊野古道を歩いていた。世界にも多くの巡礼地があるが、その中でひときわ光り輝く巡礼がある。サンティアゴ・デ・コンポステーラ巡礼である。 サンティアゴ・デ・コンポステーラへの巡礼の記録は、95…

僕がラグビー登山家になるまで 31歳 | 中古団地を購入し、DIYした時の話。

当たり前の事だが冒険をしようと思うと、多額の資金が必要となる。 僕、個人の感覚で言えば、途上国を中心に世界一周をするのであれば150万円ほどの予算で済む。しかし、世界的な冒険フレームを実行しようとすると世界一周の予算と比べて一桁変わってくる。 山好きの間で皆の憧れである世界七大陸最…

僕がラグビー登山家になるまで 30歳 | エンブレムを見てこの冒険を思いついた時の…

僕は芸術の専門家ではないが、世界中放浪している身として、そこそこの数の博物館と美術館に訪れている。 世に知られている名作だけなく、名だたる美術館に置かれている美術品というのは作成者の遊び心やメッセージが記号として描かれている。何かしらの秘密がそこにはあり、絵画を眺め、それを読み解…

僕がラグビー登山家になるまで 30歳 | エンブレムを見てこの冒険を思いついた時の…

RWC2019のエンブレムが発表される前のこと。 2015年8月、東京オリンピックのエンブレム騒動で日本が揺れていた。ベルギーの劇場のロゴに似ていると指摘された問題でエンブレムのデザインを担当したアートディレクターの佐野研二郎氏は酷い「ネット私刑」を受けていた。自身の事務所のホームページには…

僕がラグビー登山家になるまで 28歳 | ジンバブエで何を学んだかという話。

大きいことができる男になりたいとの思いで、青年海外協力隊に応募し、修羅の国と呼ばれていたジンバブエに赴任した。現場で求められることは基本的にやってはいたが、その思いが達成されたかどうか自分自身わからない。しかし、僕はジンバブエのことを第二の故郷とも思えるぐらいに好きになっていて、…

僕がラグビー登山家になるまで 27歳 | ジンバブエへ赴任した時の話。

2012年1月。僕がジンバブエに赴任した時というのは、自国通貨が廃止され、米ドルに移管されて2年後のことである。 そのため、ハイパーインフレであった経済混乱が一息つき、苦しくもあるが復興への希望に満ち溢れていたタイミングと重なる。 国内でのジンバブエのイメージはどちらかというと、悪いイ…

僕がラグビー登山家になるまで 26歳 | 青年海外協力隊へ応募した時の話。

世界を旅をしていると、先進国と途上国の不条理に否が応でも見る機会があり、こんな僕でもささやかながら何かしらの貢献を一生に一度はしてみたいとの思いがフツフツと芽生えはじめていた。そのようなタイミングでボリビアを放浪していた時にたまたま青年海外協力隊の方とお会いした。アレコレ聞くうち…

僕がラグビー登山家になるまで 25歳 | データセンター中で見た3.11の話。

2011.3.11というのは誰もが忘れられない日であると思う。 入社2年目。僕は東京の西部の端の地図には記載されていない場所に1人いた。そこは真っ白の無機質な壁に覆われていて窓はなく、外は全く見えない。ドラゴンボールの「精神と時の部屋」のようなイメージと言えばいいだろうか。電磁波がありすぎ…

僕がラグビー登山家になるまで 24歳 | ファーストキャリアの話。

僕が就職活動中の間は、まだラグビーW杯の日本開催が決まっていなかったが、絶対に来るとの予想があった。そのこともあり、来るべきラグビーW杯関連の仕事に関わりたく、マスコミと広告代理店しか僕は考えていなかった。しかし、それが全滅し、僕は狼狽しきっていた。 どうしようと大学の掲示板を眺め…