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最近の心がけを書いてみようと思う。

どうも、ryotaです。
2021が始まって少し経ち。
僕は新年だからって何か目標を立てるっていうことはあんまりしないです。
「目標」って立ててもだいたい忘れちゃうので。

そんな僕は目標じゃなくてその時々に応じて自分の"心がけ"を更新しながら、行動のコンパスにしています。

今回はそんな僕が最近大事にしている"心がけ"について書いてみようと思います。

「考え抜くこと」

うん。
僕はこの「考え抜くこと」を自分の行動の指針にしています。

「考える」ではなくて「考え抜く」。
この二つの言葉の間には僕的にははっきりした違いがあって。

「速く、便利に」
「立ち止まるやつは置いていかれる」
「この予測不可能な時代では論よりランだ」

拙速でもいいからスピード感が求められる忙しい現代。
何よりもまず答えを出すことを、速く出すことを求められる現代。
AIの発達や通信機器の進歩でこのトレンドは今後もっと発展していくんだろうなあと思う。

そんな潮流の中で必要になってくることはなんだろう。
激動の時代で生きるために必要なことはなんだろう。
人間らしさってなんだろう。

僕が出した答えは「考え抜くこと」
自分の身の回りの出来事を無批判に、手放しに受け入れるのではなくて、そこに隠れているメッセージをなんとか読み取ろうとすること。
世の中の潮流に飲み込まれないために、立ち止まって思考を深めること。

兎にも角にも「速さこそが正義」と思い込まれている世界で人間らしくあろうとすること。

これが僕なりに打ち立てたAI時代、高度情報化社会に対するアンチテーゼです。

「考え抜く」ってそんなに難しい話じゃなくってさ。

僕の周りには「考えるの苦手」って人が結構います。
けど、僕らって日常的に考えるってことは繰り返してますよ。

「考える」っていうのは、「答え合わせをする」っていう言い方に置き換えられると思ってて。
つまり、目の前に何か現れた時にそれを「自分の中に既にある概念と同じだ」という感じで答え合わせするというか認識するというか確認するっていう作業が僕にとっての「考える」っていう言葉の定義です。

たとえば年末に「もうすぐ正月だ」と考えた時に「年末年始はいろんな店が休業になるのでは?早いうちにお正月の買い物を済ませておくか」と頭に言葉を思い浮かべる。
この時に、自分の中にはすでに「年末年始=休業」という概念があって。
目の前の「もうすぐ年末年始」という状況を見て、それをすでに自分の中にある「年末年始=休業」という概念に当てはめて、別の言葉で表現して、自分の認識を再確認する。

これが「考える」という作業なのだと思う。
つまり、「考える」というのは目の前の出来事と自分の知っていることの答え合わせみたいなものだと思う。
そう思うと、意外と日常的に「考える」っていうのは僕らみんなが行っていることなのだろう。
この「考える」には時間はかからない。
早押しクイズみたいなものだ。
知っていればボタンを押して回答すればいい。
反面、早押しを求めるがゆえに、新しい着想はほぼ生まれない。

じゃあ翻って「考え抜く」とはいったいどのような行為のことを指すのだろうか?
「考え抜く」っていうのは、例えば何か未知のものに対峙したとき、それが何かを考えて考えて、さらに考えて。
考え抜いた末に、自分の中に新しい概念を形作ることを「考え抜く」ことだと僕は定義している。
仮にそれが既知のものであっても、新たな側面を見つめようとあれこれと思いを巡らせる過程そのものが「考え抜く」ことにあたるのだと思う。

もう少し噛み砕いて説明すると。

例えば、あなたが未知の生き物に遭遇したとする。
するとまずは自分の中にある概念と目の前の生き物を照らし合わせて答え合わせをまずはすると思う。
「これは犬か?猫か?それともキツネか?」といったふうに。
これが「考える」という段階の話。

その上で、自分の知っているものに当てはまらなければ、あらゆる手段でそいつが何者なのかを調べると思う。
匂いを嗅いだり、手に取ってみたり、いろんな角度から見てみたり、人に尋ねてみたり。
どうにかしてそれが何なのかを突き止めようとする。
そんなこんなで、自分の知っていることや既存の知識との共通項や相違点を当てはめつつ、新しい発見をしようと頭の中でこねくり回す。
そうやって、自力で自分の中に新しい概念を生み出していき、それらを積み重ねていく。

「考え抜く」っていうのは、そのものの正体に辿り着くまでの過程を省略せずに、徹底的にたどり、道中にさまざまな新しい発見を繰り返しながら自分なりの答えに到達するという営みそのものを指すんだと思ってます。

自分的には、現代社会では、この「考え抜く」という体験がとても貴重なものになってしまっているとおもう。

情報が溢れかえっていて。
答えが溢れかえっていて。
それらに簡単にアクセスできるようになっていて。
何か問題に出会っても、顔も知らない誰かが答えをさっとすぐに差し出してくれる社会。

そんな社会に生きている自分たちにとって、何かの物事を最初から最後まで自分の力で解き明かす機会って貴重なものになってると思うんです。

それはそれで素晴らしいことなんだけども。
誰もがみんな早押しクイズの名手なだけの世の中じゃ、面白いものには出会えないと思っていて。
そんな世の中で出会えるのは「答えを出すのが速い人」か「答えを出すのが遅い人」のどちらかだけで。
みんな早押しマシンじゃん。
そんな世の中じゃ生きづらいなあと思っていて。。。

一つのものに対して、いろんな解釈が生まれる世界こそが僕にとっては生きていくに値する世界だ。
画一的に答えが決まっていてみんながそれを追い求めているだけの世界は生きるに値しない。


みんながそれぞれの道のりを歩んで、めいめいに自分なりのゴールに辿り着く。
それこそがAIじゃできない、人間だからこそできる営みなのだと思う。

答えを出すことだけが求められる世界を人は生きるに値しないと思う。
人間は思考して答えを分岐させてこそ人間なのかなと思う。

そんな世界で暮らしたいなあと思う自分。
プロセスを省略せずに「考え抜く」ということは、基盤となっているものなのです。

長くなりましたが最近の行動指針の話でした。

ryota

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