安倍晋三氏・国葬議について

 さて、執り行われるまでは賛否の対立が、厳しかったですが、案の定、終わってしまったら、それほどでもなくなっていっているように思います。

 私は基本アマノジャクなので、終わったタイミングの今、自分の考えていることを書き残しておきたいと思います。

 まず、国葬議については「反対」です。

 理由は、①直感的に、支持者によって神に祀りあげられてしまうのではないか、という恐れ、それに対する嫌悪感、が正直な気持ちでした。靖国神社に祀ろうとか言い出すんじゃなかろうか、ということも、今でもそっと気にしています。
 それと、②法律に定められていない、ということですね。
 他には、③他の歴代首相経験者と比べ、安倍さんの業績が飛び抜けている、とは思えない、という点もあります(これは吉田茂元首相はもちろん、沖縄返還を成し遂げた佐藤栄作元首相、日中国交正常化を成し遂げた田中角栄元首相、拉致を正式に認めさせた小泉純一郎元首相とか、そういう人たちとの比較で考えています)。

 とはいえ、理由の是非について、ここで書くつもりはありません。

 書き残しておきたい、と思ったのは、安倍氏の「罪」として私が考えていることについてです。

 それは、「分断を招く下地を作った」ということでしょうか。

 彼は、秋葉原での演説中に「安倍やめろ!」でしたっけ?確かその種の野次に対して「あんな人たちに負けるわけにはいかない!」と答えていましたよね。

 同じ日本人に対して「敵」と明確に位置付けた、初めての総理大臣なんじゃないかなと思うのです(初めて、というところは間違っているかもしれません)。

 国民の中に「敵」を作り、その敵に負けないようにしようと演説をする総理大臣。
 
 少なくとも今年52歳になった私が記憶する限り、そういう人は初めてだったように思います。本当に驚きました。

 そして、本当に「安倍さんは総理大臣に相応しくない」と強く思いました。

 それは、分断を招く下地を作る行為だからです。そういう行為をする人は、リーダーに相応しくないと考えるからです。

 さて、人は簡単に分断します。

 いろんな論争をする際に、「敵」と「味方」に分けて考えることは、簡単なことです。

 何か思考を巡らすときも、極端な考え方を対立的に2つ出すと、理解しやすいものです。

 白と黒、敵と味方、こういう二元論で考えれば、とても物事は理解しやすい。

 でも現実はどうでしょうか。

 白と黒で割り切れることなんて、そんなにありません。

 まして社会で、「あの人は敵だ」と決めつけてしまっても、他人同士ならそれで済みますけど、例えば同じ職場にいる人だったらどうでしょうか。

 安倍さんの秋葉原での演説は、はっきりとこういう「二元論でよい」ことを宣言したようなものです。

 野党も愚かでした。

 「対立軸をわかりやすく」という美言にまどわされて、「何にでも反対する」というレッテルを貼られてしまいました。

 国葬も、賛成か反対か、という括りでばかり考えられているように思います。

 でも中身は結構複雑で、賛成という中にも、心から賛成する、という人もいれば、「反対はしない」という消極的賛成の方もいたでしょう。
 その消極的賛成の中にも、「どちらでもいいけど、内閣が決めたなら良いのでは?」という考えの人もいれば、「反対派が嫌だ」「反対することは亡くなった人に対して失礼」などという考え方もあったのではないかと思います。

 こういう中間的な考え方って、とても大事だと思うのです。

 ちなみに私は「反対」ですが、当日のデモ行為は反対の立場です。例えば、黙祷の時間を狙って鳴り物でデモをする、などはもってのほか、という考えです。

 それは葬儀の静謐さ、儀式を守るという観点ではありません。

 国葬反対の人たちの中で「反対派が嫌い」と考える人たちを完全に突き放してしまうからです。

 意見を表明する、違う考えの人を説得する、という観点から見て、あまりに下手な手段と考えるからです。

 もちろん、安倍さんの葬儀(通常の、ということ)を荒らすようなことは、もってのほかだと思います。人としてそういうことはすべきではない、という観点です。

 ただ、国葬は、葬儀と名付けられていますが、実際はセレモニーですからね。

 宗教的な観点をいうのであれば、安倍さんの本葬の際、その式場に行くことはせずとも、祈りを捧げるということでも、十分に葬儀に参列したと同じことなのではないかなと私は思います。それが私の宗教的な感覚です。


 さて、国葬に触れることによって、話が脱線してしまいました。

 言いたいことを端的にいえば、安倍さんの「罪」は、
①「敵・味方」の二元論で考えを述べることを多用した。
②その結果、多くの国民が二元論で考えることを躊躇しなくなった
③そして、それにより分断が進んでしまった
という流れを基礎付ける、①を、強烈に日本国民に植え込みやがったということです。

 もう少し補足しますと、二元論って楽なんですよ。

 でもね、ある論点について意見の違う人と、別の論点で同じ意見になったっていいじゃないですか。

 こいつは違う感覚を持っていたり、自分と違う意見を持っている。でも、同じ感覚、同じ意見もある、という繋がりって大切じゃないかと思うんです。


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