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続々、函館

 旅を彩ってくれるものといえば、その土地ならではの美味しいものとの出会いだろう。
 気候風土が生み出した美味が、その土地の暮らしの豊かさを伝えてくれるものだと僕は信じる者の一人だから、旅先でその出会いを楽しまずにはいられない。
 そしてそれはいつまでも鮮やかな記憶として残るほどのものだといえるだろう。
 それゆえに食いしん坊の性はうまいもの探しのレーダーとなり、市場歩きの歩みを進めるのである。

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 函館朝市を歩いているとその駐車場の一角に、『青天白日満地紅旗』と呼ばれる中華民国の旗を、荷台の部分一面に描いた小型トラックが止まっているのを見つけた。
 僕のワイフのルーツは台湾にあるから、この国旗を見ると大好きな台湾を思い出すから、とても気になってしまった。
 おそらくはコロナ禍の前には、インバウンド客として、台湾からもたくさんの旅客がこの、箱舘にもやってきていたのだろう。
 荷台に書かれた文字を読むと新明水産という会社の車らしく、「新鮮な裂きイカを販売していますよ」とある。
 ホームページを見てみると、この名物の裂きイカのほかにも、季節の物である、メロンやトウモロコシ、そして何と言っても北海道の美食の王様である、毛ガニやタラバガニ、花咲蟹などを専門に扱っているらしい。そのホームページには、日本語のほかに、台湾で使われている繁体字の中国語、さらにはタイ語まであって驚いた。きっと台湾やタイの観光客も、これには惹きつけられるだろうなと。

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 四半世紀前に函館を歩いたときに、昔、函館出身の知人から教えてもらった小さな市場にも行ってみようと思った。
 観光客が多い函館朝市とは一味違った、地元ならではの食材や加工品があるのではないかと考えたからである。
 その一つが中島廉売と呼ばれる市場で、路面電車の堀川町停留所からほど近いところにある。

ところがいざそこに着くと、どこかひっそりと静まり返り、以前歩いた時の賑わいがない。
 後で知ったが、この市場は経営する人たちの老齢化が進み、また後継者が不足しており、シヤッター閉じたままの店も目に付いた。
 それでも頑張っておろした店も目に付いた。それでも魚や通リ名店街というアーケードでは、商っている店が結構何軒かあり、やはりローカルな市場の店ならではの食材を見つけることができた。

その一つがカジカという魚の筋子だ。横浜で向かい合わせに暮らしている娘夫婦の娘、つまり僕の孫が大のイクラ好きで、函館土産はイクラが良いといっていたからである。
 カジカはスズキ科の魚の一種で、河口付近に棲んでいる魚らしく、持ち帰ったこのカジカの筋子をワイフの雪子がほどいて醬油漬けにしてくれたが、鮭の卵より色が淡い子の筋子は、味わいも淡泊だった。
 ここではまたチャンチャン焼き用の生ジャケや、カレイなども手に入れた。

 日本全国のいたるところで、こうした市場や商店街が、新しい業態のスーパーマーケットなどに押されて、消えていくのは哀しいことだ。僕のようなロートル人間は、母に連れられ買い物に出かけた、昭和の市場の人間味あふれる雰囲気が好きなのだが。
 そしてほかにももう一か所新川町の停留所横に『自由市場』という市場を見つけたのだった。
 函館に来た初日、この市場は休業日だったのだが、二日目には営業をしていて、ここには地元の客も多いらしく、今はここが函館の人々の『台所』的な市場として人気があるらしかった。
 ここでは脂ののったネボッケや、味付けされたラクヨウというキノコのおかずなど、なかなか横浜では手に入らなさそうなものを目ざとく見つけて持ち帰り、娘たちと囲む食卓の賑わいとするのだ。

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 さて滞在二日目の昼食にと選んだのは、以前函館で出会った旨いものの筆頭を食べさせてくれた『木はら』という寿司割烹の店である。
 函館に行くなら、ここの美味しい料理を、家内とともに味わいたいと思っていたのでそのことを話すと、家内が予約を入れてくれた。
 そして出かけてみると、なんとそこは泊っている宿の目と鼻の先にあったのだった。
 しかも店がすっかりきれいに改築されていて、あれれ、別の店に来てしまったのかなと思ったが、思い出の店だったようで一安心。

 店主の木原さんの髪はすっかり白くなっていたが、元気そうで、再訪を歓んでくれた。
 ウニをジュレで覆ったものや、函館ならではの透明な烏賊の一皿、銀鱈の焼き物、さらに珍しいシシャモの天ぷらなどをいただき、昼酒に心地よく「ほど酔う」のだった。
 そして季節の魚の握りのオンパレードが始まり、お腹も気持ちも満腹となる。

 こうなれば慌ててあちこち歩きまわる予定もないので、宿に帰って夕方まで少し昼寝という贅沢をすることにした。

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