2023/09/20 スリル・ミー 松岡×山崎ペア 感情備忘録(思考の偏り強め)

本記事の位置づけ

 上記日記にもありますが、先日スリル・ミーを見に行きまして、この記事は、今回見にいった公演のうちの二つ目のペアの感想となります。記事を書くに至った経緯とかは上記記事に記載済みのため割愛します。

前提と言い訳

  • 字数省略のため、ペア表記時敬称を省略させて頂いております。

  • ネタバレしかありません。ご注意ください。

  • 以降の文中表記において、私=松岡さん演じる「私」の事であり、「今この記事を書いている私自身」を文中に出す場合は「自分」とします。 

  • 初スリル・ミーは2021年の松岡×山崎ペアで、2023/9/17の尾上×廣瀬ペアが2回目、2023/9/20の松岡×山崎ペアが3回目です。

  • あくまで本記事は、2023/9/20の松岡×山崎ペア回を見た、自分個人が感じた感想であることご留意ください。普通に的外れなこと言いまくってると思います。お許しください。 

  • 2023/9/29の松岡×山崎ペアで、今年3回目のスリル・ミーを見てきたのですが、まじでこの記事の回と印象が違いすぎて、この回見た時なんか私フィルターかかってたかも知んないな…とこの記事を世に出すのが怖くなったのですが、当時思った記録としてそのまま出すことにしました。こいつめちゃくちゃフィルタかかってんなと可笑しみながら読み流してくださると幸いです。

感想

 本当に素晴らしすぎて、もう一度見に行くことにしました。何度でも観たい。
 劇を見終わって、本当に悲しくて、この二人は殺人を犯さずに一緒に居られた世界もあったのではないかと、内心ひとり咽びながら劇場を後にしました。
 2021年の松岡×山崎ペアの舞台を見たときは、初スリル・ミーかつ、自分がこの話のことを全く知らなかったのもありまして、いつの間にか彼を罠へとかけていた私への恐怖が特に強く、また、彼らが起こした事件に対しては怒りとか不快感といった感情はあるものの悲しいとは感じませんでした。それに対し、今回はそれこそ「こんな事件起こらなければよかったのに」と、事件を起こした二人を思って悲しんでしまうような(起こらなければもなにも事件を起こしたのは彼ら2人であることは揺るぎないのに)、事件の実情を考えると冒涜的というか危ういことだというのにそのような気持ちになりました。
 同じペアでもこんなにも劇後に浮かぶ感情が違うのかと大変感動し、改めて、2021年と今年の松岡×山崎ペアを両方この目で見れたことに心から感謝しました。

 今回みた松岡さんと山崎さん演じる2人の関係が自分には、彼も私に対して対等で友達だと思っていたし、昔からの仲のいい幼馴染みの関係が今もまだ継続していたように見えました。
 例えば、冒頭の彼が私に近寄って驚かせたあとのバードウォッチングのシーンも私の向ける視線の先を一緒に見ていましたし、眼鏡を無くした私に脅迫状を「これで見えるだろ」と見せるシーンでも、普通に相手が読めるように優しく穏やかに見せに来てくれたように見えました。
 また、私も、特に劇中前半は終始そうだったと思うのですが、どこか彼にかける言葉の調子がコミカルで、彼と私の関係は対等で友達なんだろうと感じました。『僕はわかってる(Everybody Wants Richard)』を私が歌い上げる様も、彼に縋る様子、こちらに彼の目を向けようと必死な様子などは特になく、ただただ「僕と君が互いに特別な存在であることは純然たる事実だろ?」と確信を持って相手に日常のシーンの一つとして投げかけたような印象を持ちました。
 冒頭のシーンの二人の再会についても、私と彼との再会は久しぶりであることが語られたばかりだというのに、私にとって、待ちかねた再会というより、まるでつい昨日互いの家に戻った2人が今朝また会ったかのような日常の延長にある自然さ、気安さを感じました。
 まさに、私にとって、彼が私の隣りにいること、彼と私が互いに特別な人であることを疑ってすらいないような印象を受けました。

彼について

 2021年の初演時の山崎さん演じる彼の印象は、エリート意識激強の高慢なニーチェの信奉者で、松岡さん演じる私に対しても利用してやろうと驕る未熟な若者といった感じで、彼が劇中で見せる父や弟への激情も、逆怨みの側面も大きそうだなという印象を受け、彼の行動動機や顛末含め、自業自得というイメージがありました。 
 そんな印象を持っていた中観た今回の舞台、舞台上にいた彼は、それとは全く印象が異なる彼でした。今回の彼は、2021の時の彼より一見、随分と落ち着いた大人な雰囲気を漂わせており、それはそれは学友たちから魅力的に映ったであろうという説得力がありながらも、観客の眼の前に現れたときから既に限界、ボロボロで今にもポキリと折れてそのまま消えてしまうのではと思うくらい儚げに見えました。 
 弟や父に対してどうしようもない生傷を現在進行系で抱えていようで、そしてそれは怒りや憤りよりもとても深い哀しみと苦しみに満ちたものに見えて、彼がこの状態に至るまでの心細さを思い、彼の父と弟はこの子にいったいどれだけのことをしたんだ…?とつい何度も辛くなってしまいました。
 そんな彼の最後の拠り所のようなものが、彼の言うところの「ニーチェの教え」だったし、それと同時に私との幼馴染み関係だったのかなと思いました。彼は大学に行き「ニーチェの教え」に触れ感銘を受けるも、それを共有できる超人たる友人、共犯者には会えず、私のもとへと戻ってきたんだろうと思いました。
 2021年の時の彼は、高慢な態度で自分を人より上に置くことで己のプライドを守っていたようにみえたのですが、今回の彼は、ちゃんと優等生として他の人に紛れるのが上手かった彼なのかなと思いました。その分、私といるときは、私に友情であったり父性であったりを求めており、雑に扱い、多分に甘えていたのかなと思いました。
 マッチを投げたり、キスして「これで満足か」と言い放ったりしてる割には、私を下に見ているようには正直余り感じられなかったのですが、彼が私へ甘え、私がそれを受容している対等な関係に見えていたからなのかなと思いました。
 彼にとって、本当に私は親友で大事な共犯者で、でも我が身可愛さで私が眼鏡を発見した後、警察に事情聴取された次の日に、どうしようもない彼の弱さから今までの延長線上のまま逃げようとしてそれが結果的にあの顛末に繋がってしまったのかなと思いました。
 誘拐殺人を企て道具の確認をする時についても、彼の表情、声色、手つきは、まるでピクニックにいくかのような気軽さで、この人まさか事の重大さがわかってないのでは?と思わせ、一層幼く危ういものに感じました。本当に面白くて楽しい計画を無邪気に立てているような可愛らしさが彼の姿にはあって、それがまた冒涜的に見えました。
 また、拘置所で『僕と組んで(Keep Your Deal With Me)』を歌い彼から私へキスする姿は、彼から私へと縋るような、まだ二人の間に信頼があると、まだ自分たちは共犯者であると彼が信じているようなそういうキスに見えました。2021年に見た彼は、彼から私にキスをすることで相手を利用しようという傲慢さ、打算がまだあったように思った気がしたのですが、今回はそういったものが感じられず、演じ方の違いにとても感動しました。
 今回の彼は、己の身に危険が迫ってるとき以外、私と会話しているときは基本結構楽しそうにしてるように見えたのですが、特に、誘拐殺人の案を私に聞かされたとき、「本当にお前天才だな!!」ってめちゃくちゃ嬉しそうで、こんなにもすごくてかっこいい私と自分は対等なのだという全能感とか二人で罪を犯し超人にいたることへの高揚感が凄く伝わってきて、やってること、やろうとしていることが犯罪でさえなければ青春ドラマかなにかを見ているかのような爽やかさ、純粋さで、「貴方達、なんで校舎の窓ガラスを割るくらいで満足してくれなかったんだ…でも小屋燃やして盗み働いてもだめだったしな…どうしてこんなことに…」と、どうにかならなかったのかというやるせなさが非常に強く残りました。

私について

 2021年にみた松岡さん演じる19歳の私は、彼を愛しながらも彼の凶行に対しては止められず、おっかなびっくり付き従っていた印象があって、(私がスリル・ミー初見で話を知らなかったのもあると思いますが、)眼鏡を落としたことがわかったあとの狼狽も本物のようで、『僕と組んでで』で言い寄られて彼に君の言う事を聞いてあげると応える姿も彼に対しひたすら一途だったように見えて、最後の『99年』で計画が明かされる瞬間まで、彼につきあわされ翻弄された被害者のように見えてました。だからこそ、『99年』で計画が明かされた時その事実と私の嬉しそうな表情と声色に心から戦慄し、自分にとってこの物語がいつまでも忘れられない大事なものとなりました。
 今回の舞台上の私は、劇中前半は特に、友人といった感じで、途中途中の彼への声掛けにもからかうような色が含まれていて、幼馴染みで仲良しなんだなということの説得力がとてもありました。
 その一方で、じっとりとした、彼を自分のものにするのだという激情と執着は常に持ちあわせていて、それを普段は理性で抑え隠して彼に接していたようにも感じました。でもそれは、護送車内や盗みを働いたあとなど、至る所で滲み出ていたように感じました。特に、『優しい炎』で彼に優しく触れられ別の場所で続きをと促す時や、『計画(The Plan)』前、私が彼に誰を殺すつもりか聞いて、少しおどけたような口調で僕?と聞いたあとに、彼が「お前……以外」と返した際にス…とじとりとした嫉妬を一瞬滲ませたような気がした時など、随所で彼への重くて強い愛、または執着が感じられて、それを発しているのが平時は理性的で、友達も彼以外に普通に居そうで、真人間のように見える私であるということが堪りませんでした。
 平時の演技に関しても、おどけてみせる余裕を持っていながら、端々に賢さとプライドの高さが見受けられて本当に最高でした。

『スリル・ミー(Thrill Me)』の私と彼について  

 今回のこの一連の話において、どうしようもないスイッチだったのは、『スリル・ミー(Thrill Me)』で私が彼に迫りそれを彼が受け入れた瞬間だと、劇を見て心から強く思いました。もしかしたら他のペアや今までの劇でもそれは強く示されていて、当たり前で今更なことを自分は今言っているかもしれませんが、この回に関しては絶対にそうだったんじゃないかと強く思いました。
 まだスリル・ミー観劇3回目の若輩者ではありますが、こんなにも私に恐怖を覚える『スリル・ミー』は初めてみました。ここまで私と関係することに対し心から抵抗する彼は始めてで、傍目に見てもそれはどうしようもなく涙が出そうなほど明らかで、それでも、そんな必死な彼が眼中にないのか、構わず強く彼に迫る私のことがとても恐ろしく見えました。
 2021年の松岡×山崎ペアや、先日見た尾上×廣瀬ペア、ホリプロ公式YouTubeの宣伝動画で少し見受けられる他ペアなどを観た限りでは、関係を結ぶこと自体の煩わしさとか、私との関係値のための駆け引きとか、そういう点で彼は私を拒否してたように見えていました。
 ですが、今回に関しては、彼は本当に限界で、心からこの一線を今越えられてしまったら壊れてしまうという自覚のもと私から逃げていたように見えて、それを私がバキリと踏み壊してしまったように見えました。言葉を選ばなければ彼が私に蹂躙される現場に居合わせてしまったかのようなショックと、罪悪感と、眼の前で起こっているそれを止めなければみたいな焦燥を激しく感じました。今まさに決定的な取り返しのつかないことが起こってしまっている、誰かどうか止めてくれと神様に懇願するような、まさに見ていられないというような苦しさを自分はこのとき感じてしまいました。こんな気持ちで見るスリル・ミーは、本当に初めてで、自分でもとても驚きました。
 ここまで散々放火や盗みに突き合わされたし契約書を交わした以上、そんなこと言うのは全くフェアじゃないと思いはするのですが、今夜だけでも、どうか一夜でも、私が彼と関係するのを待ってくれたなら、誘拐殺人は起こらなかったのではないかと勘違いしてしまいそうなほどに、理不尽で暴力的で凄惨な鬼気迫る哀しいやり取りに見えました。

『99年』の私と彼について

 誘拐殺人事件が発覚し、捕まり、『僕と組んで』、『死にたくない』を経て、二人護送車で揺られている時、私に話しかけられた彼が、最初、私の声が聞こえなかったかのようにぼうっとしており、その後ハッと取り繕えてない虚勢を張って私の声に答える姿が、非常に痛ましく、印象的でした。そして、その後の『99年』へと至る二人のやり取りは本当にこの回の劇の集大成といった具合に様々なことを感じさせる素晴らしいものでした。
 私が計画的に一緒に永遠に檻へと入ろうとしたことを聞いた時、2021年初演時の山崎さん演じる彼は、私への純粋な驚愕と恐怖というものを全面に押し出していらしたように見えました。それと比較すると今回の彼は、私の行動への驚きがまずありつつも、彼の彼自身への見放し、共犯者を得ることに対しての諦め(彼はこの時初めて私が彼自身とは別の生き物であるということに気づいてしまったかのように見えました)、そこからの私への不理解、断絶、が見え、じわじわと絶望していったように見えました。
 一方で、この回の私は、抑えきれないじわじわとした喜び、優越感、周りや相手のことが何も見えなくなっているかのように見えるほどの恍惚とした陶酔が見えました。『スリル・ミー』の時の私の彼への暴力的なまでの姿も脳裏をよぎり、もしかしたら私は、彼のことがいつからかちゃんと見えてなかったのじゃないかと思うほどのそれに見えました。『99年』を歌う私は本当に嬉しそうで、気持ちよさそうに歌っていて、そんな姿こそが恐ろしかったです。2021年時のその姿も怖くはありましたが、その怖さの半分くらいは驚き由来のものだったように思うので、よっぽど自分にとって彼の姿が恐ろしく見えたんだなと思いました。
 彼が「君を認めよう 全て思うがまま だがこれから君は 孤独だ ひとり」と歌った瞬間にこそ、私は彼の心を永遠に喪ってしまって、でも私は、その意図に気づかず、そして間違いなく彼を捕まえ手に入れたのは事実なので、確信を持って嬉しそうに「いや 離れられない」と断言する様子に、確かに友人だった、互いを思ってた瞬間があったはずの決定的断絶を見て、寂しさと哀しさ、ままならなさに様々な感情が込み上げて、泣きそうになりました。

この回で描かれた私と彼の関係について 

 この回の私と彼の間には、間違いなく信頼関係があって、でも2人ともがお互いに、それを知らず知らずのうちに壊してしまったように見えました。
 具体的にいうと、私視点では、彼が「捕まるのはお前一人だ」と言って罪を逃れようとしたとき、彼視点では、護送車で私が彼へ勝利宣言をしてそれを噛み締め、相手が超人で自分の理解を超えたなにかであると諦めたとき、それぞれ相手への信頼が壊れてしまったのかなと思いました。そして、その壊れた瞬間をお互い認識していなくて、どうしようもなくすれ違っているように見えて悲しかったです。
 私に対しての劇中の様々な行動を思うと、なんて勝手な話だろうと思うのですが、この回の彼に関しては、私を決定的に裏切った「捕まるのはお前だけだ」と吐き捨てたあの発言ですら、本当に悪気がないというか、その場の勢いでそれを言っていて、言動、行動的には間違いなく事実裏切っているのに、彼の中では本当に裏切っているつもりはなかったんじゃないだろうか?と思ってしまうくらい、やけに純粋な、壊れてしまったゆえの何も状況を理解できていない幼気さのようなものを感じました(書いててめちゃくちゃ失礼な気がしてきましたが、どうかお目溢しいただけると幸いです)。
 私も、彼も、お互いを同一視してしまっているような面はあって、でも、そのあり方が違ったから断絶へと繋がったのかなと思いました。
 彼は、私とそもそもひとつだと思っていたからこそ、自分がスリルを感じること、楽しいと思うことに遠慮なく悪びれもせずに私のことを巻き込んでいたのが、私が彼を手に入れたと思った瞬間にこそ、彼は私と彼が同一の存在ではないと気づいてしまったように見えました。
 一方で、私にとって今の彼と一緒の関係は十分でなかった(まあ試し行為はしてくるし勝手にいなくなるしそりゃあなあ…)し、私は彼の隣で一緒に同じ方向を見たかったのではなく、彼と一緒に、ひとつになりたかった、または全てを所有したかったのかなと思いました。
 改めてこの回で語られた二人の話を思うと、たしかに2人は共犯者で、間違いなく愛の話で、ともすれば美しい話に見えそうで、でもそれは劇中で起こったことを思うと、とてもじゃないおぞましい話であるわけで、そんな風に様々なことを思い考え浸らせてくれる、素晴らしい体験でした。改めて、今回、この日このペアのこの回の物語を見られたことは非常に得難く素晴らしいことだと思いました。心から感謝しています。

あとがき(反省)

 今日、今年3回目の松岡×山崎ペアを見る前に書き終わってアップする予定だったんですが、書き終わらずに「『99年』の私と彼について」の節まででタイムアップで一旦中断になって、今、3回目の観劇を終えてからそれ以降の部分を書いてるんですけど、同じペアの同じお話を見たのに、今日見たお芝居と、この記事の回のお芝居は、ほんっっっとにまっっっったく違ってて、「あれ?この記事に書いている内容もしかして幻覚か?幻覚はまあ冗談としても思ったことを長々出力して、日が経って記事の形に成形してとしてるうちにだいぶ恣意的な妄想や個人の偏った見方とか脳内でなんか勝手に作り上げてしまったものが含まれてたりしないか?本当に大丈夫か?」みたいに戦々恐々しつつ見返すのも推敲すら怖いな…(あと、今日の記憶と混ざらないように、または今日の記憶で当時思ったことを消さないように)というのがあって、何もかもに対してどうする?って感じだったのですが、自分用備忘録ということで振り切って投稿しようと思います。
 そういうことなので、同じ回見たけどなんかめちゃくちゃ言ってること違うな…となること多分にあると思うのですが、どうかお見逃しくださいますと幸いです。
 また、時間つかってなんとか下手な敬体にしたり同じような内容の感想を纏めて文章にするより、観劇メモを被っててもそのままお出ししたほうが新鮮で意味があるんじゃね?と今更気づいたので、今日見た公演の感想は、そういう形で日記にしようと思いました。今日もうあげてしまいたい。そして早く他の人の感想を浴びたい。
 ここまで読んでくださり本当にありがとうございました。

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