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コミュニケーション論 課題2

 スマートフォンをはじめとしたネット端末の広まりにより、「出会い」の幅が圧倒的に広がっている。青少年の「インターネットを介した出会い」は圧倒的に増えていると考えられ、それによるトラブルは社会的に問題視されるようになった。本レポートでは、インターネットの普及により、容易に人と出会えること、コミュニケーションの幅が広がったことにについて自分の思うことを記述する。
 内閣府の青少年のインターネット利用環境実態調査によれば、近年、多くの青少年が携帯電話やスマートフォン等の自分専用のインターネット端末を所持し、利用していることは複数の先行研究より明らかとなっている。情報を受信するだけではなく、自ら情報を発信していることも今では普通のことになっているだろう。その結果、インターネットを介して文字のやりとりをし、実際に会うことが容易になっている。インターネットが普及し始めたころ、学校教育ではインターネットで知り合った人とはあってはならないと教わってきた年代も多いだろう。しかし、今まで危険だと言われていた「出会い系サイト」が「マッチングアプリ」に変化し、オンラインの対戦式ゲームも増え文字のやりとりのコミュニケーションが中心となった。そこから、お見合いのような対面よりも文字でのやり取りをすることによって自己呈示がしやすくなったと考えられる。ネット上であれば、他者からの良い印象を得やすく、社会的承認や報酬を得るために特定の情報を強調したり自己に関する情報を選択して伝達することは容易である。そのため、ネットで知り合って会うまでのプロセスが簡単で早くなるのである。
 インターネットを通して、さまざまな地域や世界の人とリアルタイムで関わることの出来る世の中になり、多くの「出会い」がある。中学から高校へ上がるとき、中学時代の友人に新しい学校でどのように友達を作るかを聞いたことがある。その時に彼らはソーシャルネットワークサービスを利用して、同じ学校に入学する子を探してフォローして話かけると答えていたことを覚えている。はじめましては対面ではなく、ネット上でまず挨拶をするというわけである。わたしたち通信生も顔を合わせるのはスクーリングのときだけ学校へ毎日通うことは出来ない。そのためソーシャルネットワーキングサービスを使って学友たちとのコミュニケーションをはかっている。スクーリングへ行く前も今日はどの授業にでるかなどの情報を書き込んで、友達を作っていく。インターネットによる「出会い」が全て悪ではないと考える。言葉や顔を合わせるコミュニケーションは少なくなっているし、先生方とのコミュニケーションも文字だけであり、顔の知らない誰かとコミュニケーションをとることは現代では普通になりつつある。ほんの十数年前までは考えられなかったことである。しかし、文字だけのコミュニケーションには問題点もある。文字でのやりとりだけであると、やりとりしている相手の表情や感情の様子がわからない。対面で会話する場合は相手の表情や声のトーンの情報もあり、コミュニケーションは円滑であるだろう。文字でのやりとりによって相手の感情がわからず、トラブルに発展することも少なくはない。表情の見えないやりとりは、誤解や勘違いが生じたり、思いやりのない言葉で誰かを傷つけたりすることもあり得る。
 「出会い」が簡単になったインターネットの世界は友達を作ることに関しては大変便利であるが、そのようなメリットだけではない。言葉や画像だけが本当の姿とは限らないのである。「マッチングアプリ」の利用も増え、トラブルもそれに比例して増えている。そして、インターネットを普通に使える青少年たちを脅かす悪い人間たちがいることも忘れてはいけない。今日ニュースに取り上げられる「闇バイト」や「パパ活(援助交際)」など、犯罪になりかねないSNSの投稿が散見されるようになった。インターネットには不適切な情報が簡単に目に入るようになっていて、簡単すぎるからこそ、なんの罪悪感もなく犯罪に手を染めてしまう人々が少なくない。便利な社会になる一方、こうした事態が身近に起きている。遠くの家族や恋人、友人らと簡単に連絡が取れて遠くても近くに感じられるメリットはもちろんあるし、現代の生活には必要不可欠である。どんな道具でも一つ間違えれば大事故につながりかねない。この現代で生きるには、若者たちのネットリテラシーがさらに必要になってくるし、わたしたち大人も正しい知識をアップデートする必要がある。わたしたちは、画面の向こう側にも生きている「人」がいることを再確認していくことが必要であると考える。インターネットの利用で「出会い」はもっと広がっていく。多様化する社会で、それらを取捨選択する必要があるのだ。


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