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娘と私はタイプがかなり違う

娘と私はかなりタイプの違う人種だと思います。時代的なこともあるかもしれませんが、勉強も宿題もするのが当たり前で、たとえ学校で友達と嫌なことがあったとしても学校に行かないなんて選択肢は私の中にはありませんでした。親を困らせることもしなかったし、勉強しなさいとも言われませんでした。ドリルを買ってもらうこと、本を買ってもらうのが好きでした。私の母親は本当に楽な子育てだったと思います。(それゆえに娘の不登校など理解できず、娘にきついことを平気で言います。)よく自分が親になって親の苦労がわかったとか親に感謝したと言いますが、私は逆で本当に楽な子育てだったんだねと思います。同居はしていますが、娘が私に向けるほどの愛情は私は母に持ったことはありません。

最近、5年生も最後で、私も仕事に出ると付き添いが出来なくなるので、出来る限り行けるときは少しでも学校に顔を出しています。昨日も終業式、式は放送だけですが通知表と上履きを取りに行くことを口実に学校へ。でも娘には負担だったようです。だけど私にはやっぱり、私の小学校時代よりずっと恵まれた環境で(図書室の本の充実度と綺麗さとトイレが本当に羨ましい)先生も理解してくれて、来たことを喜んでくれる子たちもいて(しかもあんまり騒ぎすぎずに気を遣ってくれてることがめっちゃわかる)、なんでそんなに苦しいのだろう?と。別にもう成績を期待しないし、行くだけで良いじゃん。普通にみんな来られているのになんでなんだろう?そもそも私はこんな苦労を親にさせていないのに、なんで私はこんな難関親コースを進まないとならんのだろうとやっぱり思うのです。もっと母のように初心者コースを進みたいよと。

学校に行けないならせめてもう少しちゃんと勉強しても(怒ってさせるべき?でも怒られてイヤイヤやったところで身につかないだろうと思うのです)良いんじゃない?学校で不安なことと、勉強しないのは別じゃないのかな?と。あとでやっていない分を取り戻すのは本当に大変だと思う。特に算数は積み重ねだから抜けてる部分は後になって苦労すると思うから。それともそんなに勉強が苦痛なの?勉強がいやでも良いけど、将来生きていくための手段は見つけないと結局困ることになるのは自分だよ?もうそんな思いが昨日は爆発しました。そもそもは四谷大塚のオンライン小学校の算数やっていて、私のやり方に意味不明なイチャモンつけたことがきっかけかな。いや、それならちゃんと動画見れば良いでしょ?なんで見ないの?となって。

私があまりにもムッとしていたので娘もこれはまずい思ったらしく、一人で動画を見始めて、ママが正しかった、ごめんなさい、これからはちゃんと頑張るからと。このこれからはちゃんと頑張るって、よく娘はいうんですけどね、実行されないんです。だから謝らなくてもいい、頑張るって言わなくても良いからやって欲しいと言いました。あ、私は正論で相手を追い詰めるタイプ(とオットにも娘にも言われますし、小さい頃からそうだったと思います)だそうなのでこの発言も追い詰めてるのかもしれません。でも本当にそうなんだもの、他にどう言えば良いんだろう。

ということで、娘への愛情はあるのですがどうしても理解できないところ多いです。理解できなくても同意できなくても、あなたはそうなのねと言ってあげてくださいと、教頭先生にもスクールカウンセラーにも言われます。なるべく頑張っていますがやっぱり私も人間なので時々爆発してしまいます。

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