見出し画像

いつもそこにあるお月見だんごと月

仕事を終えてオフィスを出るといつも空を見上げる。
今夜は、いつもより明るい。
東の空に丸く黄色い満月がこちらを見ていた。
ああ、今日は中秋の名月、十五夜か。今朝、カーナビの音声案内が伝えていたのを思い出した。
横断歩道の赤信号で立ち止まる。
優しい月光が静かにあたりを明るく照らす。一瞬、街の喧騒が聞こえなくなった。

信号が青に変わる。横断歩道を足早に通り過ぎ、駐車場へ急ぐ。
車に乗り込み、西へ西へと家路を急ぐ。
満月は光のシャワーを降らせながら、私の後ろを、どこまでもついてきた。

まだ、息子が保育園に通っていたときのことを思い出した。
帰り際に急ぎの仕事が飛び込んできて、帰るに帰れず、閉園時間ギリギリのお迎えになってしまった。
きっと、泣きながら待っているに違いない。早く迎えに行かなくては。心ははやるけれど、帰宅ラッシュに巻き込まれ、車は思うように進まない。

帰ったら夕飯を作って食べさせて、お風呂に入れて、寝かしつけたら、保育園に持っていく麦茶を作って、洗濯して、それから明日の用意。ああ、そうだ、卵と牛乳を切らしてた。買いそびれたな。そういえば、シャツにアイロンができてないかも……
やることが山積みで、頭の中が沸騰しそう。ハンドルを持つ手に力が入った。

どっぷりと日が暮れて、山ぎわに建つ保育園の辺りはもう真っ暗。園の明かりが暗がりにぽつんと浮かび上がる。
小走りに園庭を通り過ぎ、息をせいて建物に駆け込む。
暗がりから急に明るい室内に入る。まぶしくて目をギュッとつむった。
「ママ!」
そっと目を開けると、明かりと同じまぶしさの笑顔で息子が飛びついてきた。
「お母さん、つわりはどうですか?」
保育士さんが聞いてくれる。最近、つわりがひどくて、実家の母にお迎えを頼んでばかりだったから、心配させてしまったみたい。
「今日は調子がいいです。ありがとうございます」
「春には、お兄ちゃんになるんだねぇ」
息子の頭をなでながら、保育士さんが言う。
わずか1歳半でも保育士さんの言葉に何かを察したのか、息子が私の足にぎゅっとしがみついた。
よいしょと息子を抱き上げる。最近ぐんと重くなった。お腹が大きくなったら、息子を存分に抱っこしてあげられるのだろうか。ふと、不安がよぎった。
息子を抱いたまま、保育士さんから息子の荷物を受け取り、礼を言って、園を出た。

夕飯を作って食べさせたらお風呂に入れて、寝かしつけたら麦茶つくって、洗濯して、それから、卵と牛乳、アイロンがけと……あ、さっき保育園からもらったお便りの返事も……
また、今夜のタスクで頭がパンパン。
息子が何か話しかけていると気づいているが、うまく返事ができない。

息子をチャイルドシートに座らせて、シートベルトを締める。

手元が明るい。

空を見上げると大きな丸い月が出ていた。
ああ、今夜は満月だったのか。
柔らかい月あかり。

綺麗……

「ママ!!」
息子が私を呼ぶ。はっと我に返る。

「ほら、大きなお月さんがでてるよ。まんまるだねえ」
息子が私の指さす方向を見る。
「見ててよ。お月さんは、おうちまでついてくるよ」
ドアを閉め、車のエンジンをかける。息子の好きなアンパンマンのCDが流れ始める。
ハンドルを回しながらアクセルを踏む。車がすっと走りだす。母親の言葉の意味が理解できず、不思議そうな顔の息子を乗せて、車はどんどん加速する。
スピードをどんなに上げて走っても、月はずっとついてきた。車が止まると月も止まる。振り返ると息子がじっと月のほうを見ていた。
「ね、お月さん、ついてくるでしょ? このまま、おうちまでついて来てって言おうか」
「うん。 おつきしゃん、ついてちーよ」
息子の舌足らずな声に応えるように、月はどこまでもどこまでもついてくる。
「帰ったら、お月様、おだんごで作ろうか」
息子に声をかける。返事がない。振り返ると、息子は体をくの字に曲げてぐっすり眠っていた。
アンパンマンの曲を消した。しんと静まり返る車内。
頭の中のタスクリストをそっと消した。
つかの間の静寂。車は家路をひた走る。
月は優しい光をまとって、ずっと私たちについてくる。
そうだ。生まれてくる赤ちゃんは、月あかりのようなあの名前にしよう。

信号が青になった。
車が、ゆっくりと加速する。
後部座席にもうチャイルドシートはない。カーステレオからアンパンマンも「ママ!」の声も聞こえない。代わりに聞こえるのは、私のお気に入りの曲でできたiPhoneのプレイリスト。
変わらないのは、どこまでもついてきてくれる月だけだ。
せっかくの十五夜だ。帰ったらお月見だんごを作ろう。
そういえば、あの日、結局、お月見だんごは作らなかった。
娘が生まれてしばらくして、やっと作るようになったんだった。

夕食を済ませたあと、作業を開始する。

真っ白のだんご粉を、ボウルにこんもり盛る。

写真 2020-08-25 20 01 52


砂糖を大さじ1杯ほど加えて、手でざっとかき混ぜる。もち米のでんぷん質を粉にしただんご粉の、きゅっとした触感がとても好きだ。
少しずつ、少しずつ水を加えて、粉と混ぜ合わせる。固すぎてポロポロでもダメだし、緩すぎでべちゃべちゃでもダメ。ちょうどいい耳たぶくらいの固さになるように、慎重に加える。

写真 2020-08-25 20 02 32



じゃばっ。

あっと思ったときにはもう遅い。
ダメだと分かっているのに、毎回、どこかのタイミングで水を加えすぎて、べちゃべちゃにしてしまう。
慌ててだんご粉を追加する。粉が余分な水を吸って、固さが戻ってくる。
今年もまた、予定より2、3個多くできそうだ。

写真 2020-08-25 20 04 43

生地をピンポン玉より二回りほど小さいだんごに丸めていく。
「ねえ、おだんご丸めるのやらない?」
制服のまま、リビングでスマホをいじっていた娘に声をかける。
「いいけど~」
スマホを置いて、私の隣に立つ。
おぼつかない手つきで、だんごを丸めていく。
「これくらいでいい?」
丸めただんごを掲げて見せる。
なかなか上々。今夜の月と同じような、まんまるを目指せ。

写真 2020-08-25 20 06 23


丸めたものから、鍋で沸騰するお湯に、ぽとんと落とす。
くるくる、ぽとん。くるくる、ぽとん。

写真 2020-08-25 20 08 11

数分で、だんごがお湯の水面に浮かんでくる。
氷を張った水に、出来上がった団子を放り込んで冷ます。
冷ましただんごを、水から引き揚げる。

写真 2019-09-13 23 16 54

満月のようにはならないけれど、つやつやのお月見だんごができあがった。

きな粉に砂糖を混ぜたものをふりかける。
作業時間、わずか15分。

写真 2020-08-25 20 17 35

「めずらしく手伝ってくれたな」
娘に皮肉を言うと、
「だって、このおだんご好きやもん」
そうだ。
朝ごはんにするほど、娘はこのお月見だんごが好きなのだ。ただし、朝ごはん用には、火の通りを早くするため、丸めただんごをすこし平たくして、真ん中にくぼみをつけるのだけれど。娘は食が細くて、朝、食欲のない時が多いけれど、このだんごだけは食べるから、不思議だ。

月よりだんご。

家族で競うように、出来立てのお月見だんごを食べる。
お腹がぷっくり、満ち足りた気持ちになったころ、南の空には丸々と太った満月が輝いていた。
お月さん、いつまでも、そこで私たちを見ていてくれてありがとう。
これからも、ずっとよろしくね。


サポートいただけると、明日への励みなります。