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気の早いサンタクロースが来た日

ない。
何度の壁に掛けてあったはずなのに、ない。

明日から12月。
11月の半ばにクリスマスツリーを出した。そのときから、12月になるのを楽しみにしていた。

12月になれば、アドベントカレンダーが始まる。

我が家には、フェルトでできた赤 アドベントカレンダーがある。
A3のコピー用紙を一回り大きくしたサイズのフェルトの台紙に、1から24までの番号がついた色とりどりの家の形をしたポケットが24個ついている。
12月1日になると、このお家のポケットに1つずつ小さなお菓子を入れて、リビングのクリスマスツリーの隣に掛ける。
察しの良い方はそろそろお気づきと思うが、アドベントカレンダーのポケットに入れた24個のお菓子を12月1日から24日まで1つずつ食べながらクリスマスが来るのを楽しむものだ。
今は大学生の娘が、高校生のころに買って、毎年楽しんでいたもの。去年、娘が家を出てからは、夫が、
「僕が食べるからやってよ」
と、童心に戻って楽しんでくれている。
今年の分のお菓子を買って準備万端だったのに、肝心のアドベントカレンダーが見当たらない。

今年のゴールデンウィークに家の中の断捨離をしたが、そのときにも捨てた記憶はない。場所を移した憶えもなし、数ヶ月前には納戸の壁に掛かっているのを確認した気がする。
でも、あるべきところにアドベントカレンダーはない。

別のものを取り出すときに、邪魔になって、どこかへ移動して忘れてしまったのかもしれない。
納戸を隅から隅まで探した。やっぱりない。
別のクローゼットも探した。二階の押し入れも探した。やっぱりない。
もしかして、娘のところへ送ってしまったのかもしれない。
絶望的だけれど、諦めきれずにもう一度納戸を探した。

納戸には、洋服ダンスが1竿しまわれている。シーズンオフのコートやジャンパーなどの大物や書類をしまってある。そこも、もう一度探した。やっぱりない。
あきらめて、タンスの戸を閉めようとしたとき、パラリと一枚の紙が床に落ちた。
それは娘が小さい頃に書いた絵だった。

あった!!

絵を手に取り、半開きのタンスの中を覗いてみると、クリアファイルが1つ目に付いた。クリアファイルの中には茶色い封筒が透けて見える。封筒の表には「ままへ」とたどたどしい字で書かれていた。

ああ、これもここのあったのか・・・・・・!

私はずっとこの絵とこの手紙を探していた。
いや、もう捨ててしまったのだとほとんど諦めていて、捨ててしまったことを悔いていた。

子育てと仕事に必死で、毎日が戦争みたいだった。ハムスターの車みたいに、次々にやるべきことがあって、常に頭の中はフル回転していたように思う。子育てがほぼ終わった今、時折当時を振り返るが、記憶がとても薄くてあいまいだ。何をどうやって暮らしていたのか、子どもたちがどんな様子だったのか、ひとつも思い出せない。

それなのに、1つだけ鮮明に憶えていることがある。それが、とてもひどい記憶なのだ。
残業して遅くに帰った日のこと。
夫と一緒に先に帰宅した娘が、私が帰るまで起きて待っていた。
「はい、ママあげる」
差し出された絵には「ママ、だいすきだよ。おしごとおつかれさま」と拙い字で書かれていた。娘は私を待っている間に絵を描いてくれていたらしい。
「ママも大好きよ。ありがとう」
と、絵を受け取ったのだが、次の瞬間、私は、子どもと夫が食べたお菓子の空き袋や消しゴムのかすとともに、それをゴミ箱に捨てた。
言い訳がましいが、あのとき、くたくたに疲れていて、全く余裕がなかったのだと思う。リビングと自分の中にある混沌を全部捨ててリセットしたい。その一心だったのだろう。
そして、あろうことか、このことすら記憶から消していた。

数年前のある日唐突に、あのとき娘の絵を捨てたことを思い出した。娘が私に向けた愛情や、忙しく働く母への優しさや感謝を、受け取ることなく、全部、無情に捨てたことを。
あの後も、事あるごとに娘は「ママ、だいすき」という言葉を添えて絵を描いてくれたはずなのに、どの1枚も残っていない。
幼い娘の描いたものを罪悪感なく全部捨てたひどい母親、それが私なんだ。冷酷で愛情のかけらもない。娘に申し訳なく、罪悪感と後悔でいっぱいだった。

だけど、今日、幼かった娘が描いてくれた絵があったのだ。
クリアファイルに挟んで、納戸のタンスの奥に大事にしまってあった。あの時の私がちゃんと保管してあった。
「ママ、だいすきだよ。おしごとおつかれさま」
「パパ、まいにちおそくまでがんばってくれてありがとう」
習いたての字と、私や夫や息子の似顔絵、そして「みんな、大、大すき」と描かれていた。

では記憶に残っている、私が娘の絵をゴミ箱に捨てているあの映像は、私の思い違いだったのだろうか。あの後、思い直して拾ったのだろうか。それともまた別の日のことだったのだろうか。

今となっては分からない。
少なくとももっとたくさん描いてくれていたはずなので、いくつかは本当に捨ててしまったのかもしれない。

それでも、こうして今も残っている絵があるならば、少なくとも何度かはしっかりと娘の気持ちを受け取れた日があったということだ。
ありがたいと思って、クリアファイルに綴じた日があったということだ。

救われた気がした。

絵の写真を撮って「なつかしくて、うれしい」とメッセージをつけて、我が家のLINEグループに送った。
すぐに、子どもたちから絵を茶化す、おどけた返信が来た。
そして、その後、
「今も大好きです」と娘。
「俺も大好きです」と息子。
「ぼくも大好きです」と夫。

うん、ママも、君らが大好きだよ。

もう二度となくさないように、クリアファイルに丁寧にしまって、再び納戸のタンスにしまった。バタンと戸を閉め、きびすを返すと、正面にアドベントカレンダーが掛かっていたはずの白い壁があった。そこから視線を下に落とす。
アドベントカレンダーが掛かっていたはずの壁の下の床には、使用済みの段ボールが重ねて立ててある。
もしや?
重なった段ボールのかき分けると、アドベントカレンダーがあった。
何かの弾みで壁から落ちたアドベントカレンダーが、段ボールの間に挟まっていたのだ。

探し物が全部見つかった。なんて日だ。
今日、我が家には、ずいぶん気の早いサンタクロースが来たらしい。

クリスマスまであと25日。

今年のアドベントカレンダーは、やかましい。
カプリコは娘のチョイス。
今年は星を買いました。

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