見出し画像

乾杯写真を撮る

「カンパーイ!!」
飲みものがグラスいっぱいに満たされて、そこに居並ぶ人の手と声が揃う。
私は、その瞬間を写真に収める。

10年ほど前、1年以上にわたる長期の職場研修を受けていた。月に1、2度程度、会議室に集まって座学の研修を受けて、最後はグループで実践して、その成果を発表するというものだった。
忙しい仕事の合間を抜けて研修に参加した。最後の成果発表のために、休日返上で準備した。
そして、最終日、無事、成果発表を終え、その夜、打ち上げが開催された。

「それでは、乾杯しましょう!」
幹事の声かけで、全員がグラスを手に持ち立ち上がった。
梅雨が明けたばかりで、とても暑い日だった。喉はカラカラ、早くビールで喉を潤したい。

「皆さん、今日まで長い間、本当にお疲れ様でした。これからは、研修の成果をそれぞれの職場で活かしてください。では、乾杯!」
「カンパーイ!」
「カンパーイ!」
幹事の発声と同時に、会場のあちこちで、「乾杯!」の声と「カチン」とグラスが合わさる音がした。

私のテーブルでも、誰からともなく「乾杯」と声を皮切りに、お互いのグラスをぶつけあおうとした瞬間、
「ちょっとまって!」
と、私の前に座っていた女性が制止した。
研修でのチームが違っていたらしく、初めて会う人だった。
彼女は、左手にビールグラスを持ったまま、カバンからスマホを取り出した。そして、レンズをこちらに向けて構えた。
「そのまま、そのまま。はい、お疲れ様でした! カンパーイ!」
彼女の号令に合わせて、そこにいた全員がグラスを近づけた。そして、彼女は、スマホのレンズをグラスを持った私たちの手元にぐっと近づけて、
「カシャッ」
カメラのシャッターを切った。

グラスになみなみと注がれたビールをぐっと飲む。冷たいビールが喉を通って落ちる。
パチパチパチ・・・・・・
どこからともなく始まった拍手が、ウェーブのように会場全体に広がって消え、宴が始まった。

「さっきの写真、どんなふうに撮れた?」
酔いで口が軽くなった私は、女性に話しかけた。
「これだよ」
スマホを操作して、先ほど撮った写真を見せてくれた。

写真には、飲み物がなみなみと注がれたグラスと、それを持つ私たちの手が写っていた。
「私、いつも乾杯するときに写真を撮ってるんだよね」
そう言って見せてくれたのは、グラスを合わせる写真の数々だった。写真の中央には、人数分のグラスと、それを持つ手。

面白いのは、毎回飲み物と手のバリエーションが変わることだ。
ビールのジョッキばかりのときもあれば、色とりどりのチューハイやソフトドリンクのときがあったり、日本酒のおちょこが集合しているときもあったり、ワイングラスやシャンパングラスのときもあった。
グラスを持つ手も、日焼けした無骨な手、繊細で白い手、ケガをした手などと様々。
そして、顔の写った写真は1枚のないのに、写真を見ると、なぜかその場の人の笑顔や歓声、場の空気が分かる気がする。

乾杯写真は、すごくいい記録だなと感心した。

それから、私も真似させてもらって、乾杯の写真を撮っている。彼女はあの日を境に私の大事な友人になった。

私が乾杯写真を撮り始めて10年近くがたち、Googleフォトにはたくさんの写真が残っている。記憶力が乏しいので、誰のどの手だったのか、何の飲み会だったのか、思い出せないことも多々あるけれど、どの時間も間違いなく最高に楽しかったことだけは思い出す。

乾杯とは、思いを込めてグラスを掲げ、お互いに気持ちを確かめ合って、杯を空ける、とても素敵な行為だ。
お疲れ様、おめでとう、久しぶり、がんばれ、あの日、掛け合った言葉が、今日も写真から聞こえてくる。

#いい時間とお酒


サポートいただけると、明日への励みなります。