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旅行を創作のロケ・ハンに

旅行は楽しい。わくわくする。美味い物食べたり、古い城みたり。ガイドブックの説明で歴史を知ったり。写真や動画も沢山撮る。

でも、せっかくの写真とか知りえた知見も、数回観たくらいでお蔵入り。それで満足。そんなことが多いのでは?

だから旅行記を書いてポストしましょう、でもいいのですが、いっそ、その見聞や感じたことを、自由なフィクションにしちゃえばという勧め。

ヨーロッパで中世の城に感銘したら、その時代のドラマを荒唐無稽、勝手に書いてしまうとか。日本のどこかの城がいいなとおもったら、戦国武将が活躍する短編を書いたりとか。

どこかでスリにあってむしゃくしゃしたら、その犯罪集団を成敗する正義の味方の話を書いてしまうとか。

フィクション、勝手な創作物語は、自由度があっていい。とくにSFのような近未来にしてしまえばなんでもあり。でも、それに史実や異国情緒がディテールとともに描かれたりすると、リアリティも増して書いててそして後で読んでも楽しいのでは。

私事、別にそんな意図はなくて単に昨年、美味い物食べに欧州を旅行しただけだったのだが、勝手にその訪れた場所の風物をいれたりして近未来SFにしてしまったのが、近未来SF小説『惚れ薬アフロディア』。

ロケ地?は、スペイン北部、アムステルダム、ウェールズ。

まったくの嘘っぱちもある、

テニスのような球技、パデルは体験しようと思ったが時間があわず未体験。カルソッツという葱焼きも11月にはまだ早く、ネットで調べて書いた。

最終章の舞台となるバスクのビルバオ近郊のガステルガチェ島については、行っておらず、ネットで調べて想像で構築。

ちょっとした知り合いも、設定や名前を微妙にかえて、登場人物のモデルにしちゃったり。

まあ、「ロケ・ハン」だったとうそぶいて、旅の記憶に残っている断片をつなぎあわせたりして物語を妄想してみる。現地でみたりきいた感動とかも混ぜながら。

今時、10分もあれば、動画つなぎあわせてフィルターつけて音楽つけて、インスタリールくらい作れてしまう。それも、創作物といっしょに思い出として残しておく。

一人よがりな楽しみながら、なんかいいですよ。お勧めです。

以下、『惚れ薬アフロディア』からの抜粋と関連の映像のインスタリールです(なんだ、自己番組宣伝かい!?):

バルセロナ大学医学部の独立派学生リーダーとして、政治集会や独立への住民投票を要求する街頭デモに積極的に参加してきた。
ムンジュイックの丘での独立決起集会では、警官隊との衝突で負傷した参加者たちの治療に奔走する姿がインスタグラムで1億回も再生され、一躍有名になる。
完成間近のサグラダ・ファミリアで、リュイスがカタルーニャ語で熱く語った独立への呼びかけは、ラップにコラージュされてSNSで拡散された。「熱い独立派医学生」としてもてはやされ、選挙にでないかとの誘いが何度もあったが、すべて断っていた。

バルセロナ

バルセロナからドノスティアまでは藻燃料旅客機で飛ぶか、昔ながらの電気式旅客電車で行くかの選択があったが、リュイスは敢えて電車を選んだ。
早くして病死した両親と自分が幼い頃に電車で行った旅行の思い出があったこともあるが、5年近く会っていなかった母方の叔母がスペインのリオハ州の中心都市のログローニョに住んでいて、それがちょうど中間点にあったので、そこに1泊していけばバスクまでの8時間の電車旅が4時間づつになるからという理由もあった。
「私の甥っ子リュイシート、今日はピンチョス・バールを梯子するわよ」喋りだすと、叔母は元気いっぱいでまったく年を感じさせなかった。
名物バールが並ぶローレル街のすぐそばにある叔母のアパートに荷物をおろして窓の外をみると、既に雨はあがっており、きれいな虹がみえた。弧を描いたパーフェクトに半円の虹を見たのは最後はいつだっただろう。リュイスはその虹に見とれた。
叔母が宣言したとおり、美味な肉やシーフードのピンチョスを3軒ほど梯子してリオハのワインをしこたま飲んで叔母のアパートに戻ると、既に午前4時をまわっていた。数時間仮眠して朝7時に腕時計の目覚ましで目を覚ますと、窓の外に、燃えるような朝日が見えた。

ログローニョ

車はコンチャ海岸の西側の丘モンテ・イゲルドの下の住宅街に着く。
車を止めて降りて、古めかしい建物へと入っていく。
「よかった。まだ動いてる、この赤いフニクラ。小学生の頃、夏の家族旅行で来て乗って以来ね」
古めかしい前世紀のケーブルカーがまだ動いていた。二人が乗ると、木製の車両をぎしぎしいわせながら、フニクラは森の斜面をゆっくりと登って行った。5分ほど斜面に建った民家すれすれに登っていくと丘の頂上に着く。
するとそこには、素晴らしい景色が待っていた。ドノスティアのビーチと中世の街並み、近隣のピレネー山脈の山々、そして海側には遠くにみえる入り組んだ海岸線の景色が、まさに360度広がっていた。
「どうです?ここから見る海岸きれいでしょう。日本語でもリアス式海岸っていうんでしょ?リアスっていうのはスペイン語なんですよ。この辺とかガリシアに多い地形、谷がそのまま海に水没して作り出した複雑な海岸線」
二人は、丘の頂上にある古めかしい遊園地のような施設で、ジェットコースターに乗る。がたがた、スピードはゆっくりだったが、今にも壊れそうで、それがスリリングだと朋美は笑った。
「スペイン語でね、ジェットコースターのことは普通モンターニャ・ルサ、ロシアの山って呼ぶんですけど、これ何故か、モンターニャ・スイサ、スイスの山っていう名前になっているんですよ、ほらここに書いてあるように。
小学生の僕は父に聞いたんです、なぜ?って。
父が言いました。50年以上前の1970年代までスペインはフランコっていう軍事独裁者の時代があって、フランコが共産主義が大嫌いだったのでロシアという名前を変えさせたって。フランコは第二次大戦のファシスト政治の延長線で強権政治で中央集権を維持するために国内の分離独立運動を無慈悲にことごとく弾圧したんです。おじいちゃんが暗い時代だったってよく言ってました」

イゲルドの丘を曲がりくねった坂道をゆっくりと下ると、丘の真下の海岸に出る。
「これから面白いものを見せますよ。満潮近いし、今日は風が強いからいいな。じっと見ていてください」
海岸の岩場の突き出したところに、岩と鋼鉄で作られた風変わりなオブジェがあった。ペイネ・デ・ビエント(風の櫛)と書いてある。その横の海に面した石畳のスペースに石畳に5、6個穴があいている。
少しして、「ほら、来たぞ!」リュイスがそういうと、その穴からいっせいに水しぶきが噴き出す。水は大きなシューっという音をあげて、1m以上吹き上げる。海から打ち寄せる波が穴を通じて吹き上げるように設計されたモダンアートであった。
予期せぬ展開に、朋美は思わず飛び跳ねるように後ずさりする。ヒールで転びそうになるが、リュイスがうまい具合にそれを後ろから抱きとめる。二人は笑う。水しぶきで濡れた顔をみて、お互い、また笑う。
*    
ピンチョス街の端の、川に近い路地に、そのレストランはあった。
「うれしいな。1997年創業のこの店が2053年の今まだやっててくれて。
2023年に家族で来た時もこのテーブルで食べたんですよ」。リュイスはバスクの白ワインのチャコリを朋美に注ぎながら言う。
「この白身の魚、なんだかわかりますか?」
「とても美味しい、メルルーサかしら。ソースも不思議な味、これまで食べたことのない味、これがバスク料理なのね」
「スペイン語でラペっていうんです、英語だとモンク・フィッシュだったかな。rape ってスペイン語、英語単語だとレイプだから強姦魔みたいでかわいそな名前だけど、これ、海の底にじっと待っててヒゲふらふらさせて小魚を呼び寄せて、パクっと食べるんですよ。呼び寄せて好きで来たのをパクっ。レイプと違う」と、リュイスは魚の物まねしながら説明する。
朋美は笑って言う。「あれね、あのちょっと間抜けな魚ね。日本語ではアンコウっていいます。肝がね、フォアグラみたいで美味しいの」
バニラアイスの添えられたチーズケーキのデザートを食べているとき、リュイスが朋美の顔をじっと見つめながらちょっと真面目な顔をして言う。

ドノスティア(サンセバスチャン)

12月、カムリ(ウェールズ)でも、木枯らしが吹いて体の芯まで冷やしてくる辛い季節だが、同時に、街では赤や緑の光に溢れた遊園地ウィンター・ワンダーランドが開かれたりと、人々の心の中にささやかながら暖かい気持ちが灯る頃でもあった。
ノエリアはバルセロナへ休暇へとひとりで立つ朋美を、カーディフ国際空港まで彼女の小さなローバーミニEVで送ると言ってきかなかった。
「ついでに帰りにあのお城のところのワンダーランドみにいくからいいのよ。マーケットで買い物もしたいし。ああ、今年もたいした出逢いがなかったわね、私」
「ノリー、きっと来年はいいことあるわよ」朋美は助手席で励ます。

カムリ(カーディフ)



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