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アート・ペッパー

この炭酸飲料みたいな名前のサックス奏者のレコードを聴きまくっていたのはいつ頃だったか。たぶん、彼の死が伝えられた1982年か83年か。当時はインターネットがなかったので、ジャズミュージシャンの訃報は死後数ヶ月してジャズの月間専門誌かFMラジオの番組とかで知ることが多かった。そして80年代はジャズの黄金時代の50年代に活躍した巨人たちが還暦を迎えつつあり、多くが若い頃の無理がたたって健康を害していた。

アート・ペッパー(Art Pepper、本名:Arthur Edward Pepper, Jr.、1925年9月1日 - 1982年6月15日)は、アメリカのジャズのサックス奏者。カリフォルニア州ガーデナ生まれ1940年代よりスタン・ケントン楽団やベニー・カーター楽団で活動を開始する。1950年代には自己のコンボを結成し、ウエストコースト・ジャズの中心的な人物として活躍した。生涯を通じて麻薬中毒によりしばしば音楽活動が中断されている。1960年代後半を、ペッパーは薬物中毒者のためのリハビリテーション施設シナノンですごした。1974年には音楽活動に復帰し、ふたたび精力的にライブやレコーディングをおこなった。1977年に初の日本公演をおこなう。このときの日本のファンの熱狂的な歓迎にペッパー自身が非常に感動した様子が、3番目の妻ローリー・ペッパーによって筆記された自伝「ストレート・ライフ」(1980年)に記されている。1982年6月15日、脳溢血により死去。 (Wikipedia)

この西海岸の白人のアルト・サックス奏者は、サックスをクラリネットのように滑らかに早吹きする。技巧がすごい奏者は他にもたくさんいるが、彼みたいに演歌のこぶしみたいなブルーノートでの泣きを入れたり音をしゃくりあげたり出来る人は知らない(前世は演歌歌手?)。そして、ところどころ音を飲み込んだ早吹きフレーズで、最後には句点をぴしゃりと打つ。名人芸。80年代に生で聴きたかった一人。残念ながらそれはかなわなかったが。

そういえばArt Pepperスタイルを真似してというか踏襲しているその後のプレイヤーは知らないな。それだけ個性的だったということか。それだけ技巧がないと真似できないということか。

彼が死後に読んだ分厚い自伝はクスリと多くの女性との無茶苦茶な人生破綻の話で、読んでて息苦しくなったのを覚えている。ジャズサックス界の太宰治。ファンはそのカッコよさに憧れ、同業者は彼の技巧に舌を巻き、女性たちは彼を一人にさせておかなかった。他の西海岸ジャズミュージシャンとは違う唯一無二の孤高の白人ジャズミュージシャン。時々聴きたくなる。

伝説のソロの You'd be so nice。まずはファンは普通ここからはいる。

Summertimeもブルージーで泣かせる。

たしか死ぬ1ヶ月前の録音。ピアノのジョージ・ケイブルスと。クラリネットを吹いている。死期を意識してたかのような、静かで穏やかな演奏。このCD持っていたんだが、どこいったんだろう。

ファンキーな演奏とか、サンバとかもよかった。そして、よく演奏されるスタンダードでもアート節が炸裂して個性の塊のような演奏だったが、ソロは隅々まで美しくて、アドリブの試みが不発のようなフレーズとなっても(それは滅多になかったが)音楽として整っていて、きちんと文法正しく「てにをは」をきめている、そんな演奏に聴こえた。■

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