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創価二世で就職氷河期世代の元お笑い芸人が人間革命出来ない話 ①

宗教二世、就職氷河期、人生再設計第一世代、お笑い芸人・・。
世間を何かと騒がすワードが、40歳を超えた自身のアイデンティティにこびりついている。

いくら洗ってもどうしようもない、焦げ付いた鍋の如く、ちょっとやそっとじゃ洗い流せないほどメンタルに食い込んできて、日々悶絶をしている。

不遇なのか呪いなのか、まだいい方なのか、なんとかかんとか今日まで生き伸びてきた。
学もなく、コネもなく、才能もない一人の人間が、どうしてこの歳まで生きてこれたのか、不思議でたまらない。

「それを功徳っていうのよ」
「二世の福運だね」

・・・もう、聞き飽きた。

こちらの、精神の迷いの隙間にするりと忍び込み、信仰心を逆手に取り、巧みに、無神経に、組織の奴隷を増やそうとする偽物たちの戯言にこれ以上、耳を貸してはだめだ。

「人間革命をしたら、きっと幸せになれる」

その思いだけはずっと持ち続けて生きて来た。

「人間革命がしたい」

これは心からの願望だった。

お金が欲しい訳ではなかった。
有名になりたかったわけでもなかった。

ただ、ただ、人間革命がしたかったのだ。

振り返れば、
大学受験に失敗。
高校卒業と同時にフリーターとなり、
やがて、お笑い芸人になる夢を抱き上京。
養成所に入り、20代中ごろまでは舞台に立ち続けた。

その後、才能の壁にぶつかり、
就職を決意するも、自身のような中途半端な人間に出来る仕事は限られていた。
ネット関連の仕事を転々としてきた。

このままでは、どうにもならないと、
親がやっていた創価学会の信心に手を染めた。
何か、自身の中で手ごたえを感じたのだ。

人間革命がしたかった。
人間革命をすれば、不遇な人生とも決別できると感じた。

学会活動を頑張れば、頑張るほど、充足感を感じるようになった。
だが、仕事はどれも長続きせず、この歳まで転々とし続けた。

社会の底辺をうろつく自身でも、信仰心という崇高な理念を持ち得る事の陶酔感に浸っていたのだ。

そう、どっぷりと浸っていた。

浸っていなければ、卑小な自己を容認する事など到底できなかったのだ。

アルコール中毒患者のように、
信心中毒者のようになり、ある種の解脱感を求めて、ひたすらに南無妙法蓮華経を唱えまくった。

だが、その酔いが覚めた時には、もう時すでに遅しだったのだ・・・。

(….To be continued)