日記 2023.6
6.21
希死念慮は夏の季語なのだろうか。
ここ数週間、自分とは思えないほどに愉快な気持ちで日々を送っていた。6年ほど背負ってきた死にたみが吹っ飛んでしまうほどに私はカラッと元気になって、別人になったような気分だった。別人だったのかな。
何に夢中になっても、いつも死にたみが邪魔をする。諦めて一緒に生きていくしかないんだと思ってた。それなのに、いつの間にか、生きるとか死ぬとか、何年もぐるぐると考えていたことはすうっと消えて、見えなくなった。多分、見なくなった。もう、諦めることすら諦めて、全部どうでも良くなって、私は劣っている、劣っている、誰よりも、ダメで、全部ダメで、もう捨てちゃおうって。真面目なつもりの毎日も、つもりなだけで何もやり遂げられていなくて、私は、私はこれからもっと落ちていく。
どうして悲しくなれないの。
6.26
苦しむ人も、悲しむ人も、頑張る人も、壊れちゃった人も、全部全部羨ましい。いつからこんなになっちゃったんだろう。最低だってわかってるけど、私だって、もっと不幸に浸っていたかった。死ぬまで死にたくて、死にたくて、死にたくてたまらなかったはずなのに。
もっと辛くなきゃいけない。笑っちゃいけない。笑っていいような人間じゃない。幸せになりたい。なりたくない。惨めでなくちゃいけない。私は何に縛られているの。
嫌いだった人間になって、罪悪感はどこかに消えた。図々しくなった。気持ち悪くなった。許せない自分ばかり増えて、涙も出ない毎日に私がいると思いたくなくなってしまった。
誰も私を許さないでください。
私が私を許すことを許さないでください。
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