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蝶よ花よと育てられても、私は蝶にも花にもならない

かわいいは無限だ。人それぞれのかわいいがあって、大事に大事に秘めてみたり、世界に見て欲しかったり、かわいいとの付き合い方は、人の数だけある。
私にとって、かわいいってなんだろう。
私にとって、かわいいって、なに。

私のためのかわいいに、いつの間にか首を絞められて苦しい。
飾れば飾るほど自分が醜く見えちゃって、かわいいの魔法は呪いに変わった。私が1番、とか、誰よりも、とか全部どうでも良くて、ただ私のかわいいで私が幸せになりたいだけだったのに。
かわいくない。私、かわいくない。価値がない。
あの子みたいに、なりたい。

蝶よ花よと育てられても、私は蝶にも花にもならない。人に産まれたから。温室を出て私は、1人で立てますか。
お人形のようなメイクも、服も、お人形になりたいと思うことさえも、私がお人形でないということをひたすらに証明するだけだった。
関節が自由に曲がること、髪の毛が靡いて揺れること、歌えること、触れられればあたたかいこと、柔らかいこと、ぶつかっても割れないこと。私の体は、陶器じゃない。
あの大袈裟なくらいに赤く染まる頬が、やけに羨ましかった。まるで当たり前かのようにフリルがついて、宝石が光って、スカートが広がって、リボンが揺れる小さなドレス。誰もそれを責めることなんてない。
歌えなくても、話せなくても、動けなくても、笑えなくても、誰かの手に抱かれて、愛されることができる。
歌えなくても、話せなくても、動けなくても、笑えなくても、可愛いってだけで。

私はお人形じゃない。

洋服が好き。可愛くしてくれるから。お化粧が好き。可愛くなれるから。着飾った私が好き。理想に近づく私が好き。でも全部醜い。
玄関を出る前の鏡が嫌い。自信が無くなるから。あの子の隣に立つのが嫌い。あの子が可愛いから。あの子の隣に立つために、何時間もかけてメイクをして、服を選んで、やっと自信がついたって、あの子のかわいいかわいい笑顔で、全部が虚しくなってしまう。そんな自分も、嫌い。可愛くない。

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