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持つべき もう一つの視点

先日、チュニジアに留学した日本人の学生と話す機会があった。
彼が、留学しているときに現地人に問いかけられた質問でどうしても解けないことがあると。
「なぜ、日本人は自死をするのか?」
イスラム系の現地人が、本当に分からないという顔で聞いてきたが、そもそもの質問の意図や、同じ前提に立ってすらいないような違和感を覚えたと話していた。
その問いに対して、全く答えることができなかったと、その学生は話していた。

僕が思うに、それは絶対的な価値観や、自分の存在自体が、創られたものとして捉えているのか、それとも自分で生まれたように捉えているのかが、一つの原因ではないかと考えた。その背景を神を信じる彼らは、絶対的前提条件として持っているのだ。

私たち自分で生まれて自分で生きていると認識しているから、自分の人生も自己責任なのだ。
大きな存在が自分を守ってくれていて、自分一人の人生ではないという大きな保険機能を多くの日本人は持ち合わせてないのではないか。
だから、社会的な生き物である人間が、社会的な居場所を失った時に生きる道を見失うのかもしれない。
社会的居場所だけではなく、本来の自分の存在自体に対する定義や価値があることに、気付けないまま。

そして、その存在自体に対する定義や価値は必ずある。
そして、それは学ばなければ理解できないものだ。特にこの日本では。

あなたを
あなたよりも、あなたの両親よりも、誰よりも愛している存在がいる。
あなたが何をできなかったとしても あなたの存在自体を愛する存在がいる。
そしてその存在は誰よりも近くにいて誰よりも静かに しかし、深く大きく愛している。

私たちはこの壮大な宇宙の何を知っているだろうか
なぜ存在するようになったのか
どう存在するようになったのか

その過程と意味を知らず ただこの美しい地球に生きている
どうすればこの美とスケールを表現し得るだろう

心があるから感じられる 心を込めて創られたものを

私たちは知らないといけない
「生きている」のではなく「生かされている」ことを
「生まれ た」のではなく、「生ま れた」ことを

そうしてこそ この尊い命が この尊い星で生きる価値に目が開かれ始める
デスクでも人混みの中でも感じることができるほどに

私たちは2つの目が必要だ
1つは所謂現実を見る目 2つはその背景と経緯を見る目

その2つの目で見るとき私たちの人生が揺るがない意味と価値を帯びてくる
この世界は私たちが思っているよりも温かく奥深く 秘められている愛がある

その意味を見出すための数千数万年の人類のもがきのリレーであり 闘争だった
どのような状況でも絶えず道を下さった 私にもあなたにもそうだ
何もないように見えても かならず隠れた道が存在する
祈りという道を下さったことに感謝する
キリストという道を下さったことに感謝する

汚れた世界に清いものを送り
天に進み出られる道を作ってくださったことに感謝する
人間に枯れることのない良心を与え
2つ目の目が開かれるようにしてくださっていることに感謝する

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