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ChatGPTでも変わらない

 マーケティング界隈で「ChatGPTが変える○○!!」という言葉が毎日飛び交っている。データ分析、情報収集、記事の執筆、プログラミングの作成、画像や動画制作、業務資料やプレゼンテーションの作成など。さまざまなビジネス現場が乗り遅れまいと躍起だ。
 ただ、ChatGPTが産まれたばかりの赤ちゃんを、すぐに言うことを聞くようにはしてくれない。極端なもの言いを選んだが、ChatGPTが炊事・洗濯・掃除を変えるという話までは聞こえてこない。
 どうやらデジタルな未来は、リアルな感覚を忘れさせようしているのだろうか。大根を切りながら帰宅を待つ、自転車に乗って街に出る、歯並びの悪い自分に嫌気がさす、道端に咲く花に心躍る、飲み屋で先輩と言いあいながら勝手な未来を想像する、そして、生命の誕生に幸せを噛みしめる。冷静になれば、社会はヒトの営みの積上げでできていると思えるのに、なぜ画面の先で世界を変えられると思ってしまうのか。
 自らには「データ分析は何のためか」と問い直す。社会に貢献したいと意気込んで取り掛かるが、その社会はデジタルな世界ではなく、リアルな営みに違いない。考えるべきは、正しいプロンプトよりも「幸せなヒト」だと改めて思う。

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