社会規模のイノベーションのジレンマと、日本人としての恥

イノベーションのジレンマといえば、世界で最も影響力のある経営思想家の一人とも言われているクレイトン・クリステンセンが説いた企業経営の理論で、破壊的イノベーションが起こるメカニズムを説いたものとして有名かと思います。

イノベーションのジレンマとは〜wikiより〜

本書の説明には以下のようにあります。

偉大な企業は、すべてを正しく行うがゆえに失敗する。世界で最も影響力のある経営思想家、クレイトン・クリステンセンが説いた破壊的イノベーションのメカニズムとは。論理的で正しいだけの経営判断では乗り越えられない、「イノベーションのジレンマ」を解き明かす!

内容の抜粋はwikipediaよりお借ります。まず概要を。

大企業にとって、新興の事業や技術は、小さく魅力なく映るだけでなく、カニバリズムによって既存の事業を破壊する可能性がある。また、既存の商品が優れた特色を持つがゆえに、その特色を改良することのみに目を奪われ、顧客の別の需要に目が届かない。
そのため、大企業は、新興市場への参入が遅れる傾向にある。その結果、既存の商品より劣るが新たな特色を持つ商品を売り出し始めた新興企業に、大きく後れを取ってしまうのである。例えば高いカメラ技術を有していたが、自社のフィルムカメラが売れなくなることを危惧して、デジカメへの切り替えが遅れ、気付いた頃には手遅れになってしまっていたなどがある。

次は、イノベーションのジレンマが起こる経緯を。

1)優良企業は、顧客のニーズに応えて従来製品の改良を進め、ニーズのないアイデアを切り捨てる。イノベーションには、従来製品の改良を進める「持続的イノベーション」と、従来製品の価値を破壊して全く新しい価値を生み出す「破壊的イノベーション」がある。優良企業は、持続的イノベーションのプロセスで自社の事業を成り立たせているため、破壊的イノベーションを軽視する。
2)優良企業の持続的イノベーションの成果は、ある段階で顧客のニーズを超えてしまう。そして、それ以降、顧客は、そうした成果以外の側面に目を向け始め、破壊的イノベーションの存在が無視できない力を持つようになる。
3)他社の破壊的イノベーションの価値が市場で広く認められる。その結果、優良企業の提供してきた従来製品の価値は毀損してしまい、優良企業は自社の地位を失ってしまう。

次は発生の要因を。破壊的イノベーションへの参入が遅れる要因を5つにまとめてます。

①企業は顧客と投資家に資源を依存している。
 既存顧客や短期的利益を求める株主の意向が優先される。
②小規模な市場では大企業の成長ニーズを解決できない。
 イノベーションの初期では、市場規模が小さく、大企業にとっては参入の価値がないように見える。

③存在しない市場は分析できない。
 イノベーションの初期では、不確実性も高く、現存する市場と比較すると、参入の価値がないように見える。
④組織の能力は無能力の決定的要因になる。
 既存事業を営むための能力が高まることで、異なる事業が行えなくなる。
⑤技術の供給は市場の需要と等しいとは限らない。
 既存技術を高めることと、それに需要があることは関係がない。

その上で、破壊的イノベーションを起こすための有効な手段が以下。

破壊的技術を「正しい」顧客とともに育て上げること。この「正しい」顧客は必ずしも既存の顧客グループから見つける必要はない。
破壊的技術のインキュベーションは、小さな成功と少ない顧客獲得でも報いられる仕組みを持つ自律した組織の中で行うこと
早く失敗し、正しい破壊的技術を見つけること。
破壊的イノベーションをミッションに持った組織に既存事業が有するリソースを全て使えるようにすること。その一方で当組織のプロセスや価値観は既存事業から切り離されるよう気をつけること。

以下の動画が分かりやすかったのでこちらも参考にされて下さい。

国家・社会としてのイノベーションのジレンマ

そして私はこの理論は大企業だけではなく、規模が違うだけで国家にも社会全体にも当てはまると思っています。

これまでの人類史で多くの国が、誕生・繁栄・衰退を繰り返してきましたが、衰退する多くの原因は「変化への対応不足だと思います。時代状況、自然環境…など国家を取り巻く環境は刻一刻と変わっていきます。そしてそれによって自国民や、他国のニーズや状況も必ず変化していきます。

しかしそれらを考慮することなく、過去の延長線上にのみ自国の繁栄を考えてしまえば、あっという間にその環境の変化に飲み込まれていってしまいます。

破壊的イノベーションが起きた国家としては英国の産業革命やフランスのフランス革命があげられると思います。ただしこれはあくまで国家が主導して起こったものではなく、自然発生的に起きたものですが。そういう意味で言えば、日本の明治維新は歴史的に見ても特殊な破壊的イノベーションだったようにも感じます。

そしてそんなひとつの国で起こったイノベーションが、今では全世界を覆い尽くしています。それは社会規模の観点でみれば英国やフランスで起きた破壊的イノベーションであり、国家規模の観点でみれば一部の国民から起きた破壊的イノベーションでもあります。

宗教や封建主義という既存の商品が、ある一定のニーズを超えてしまい、その価値が毀損された結果、新たな商品である科学や資本、民主主義が発展しました。

そして、既存の顧客や株主であった王族・貴族・聖職者がその地位を追われ、資本家たちが組織の中心に勃興し、現代社会が形成されていきました。

一定のニーズを超えた現代社会

そして私は現代社会の中心商品である、科学・資本がすでに一定のニーズを超えてしまっていると考えています。

私たちは科学の発展によって物質的な豊かさを手に入れました。しかしその一方で、全世界にうつ病患者は3億人以上アルコール依存症などにによる健康障害に苦しんでいる成人も3億人近いと言われています。そしてここ10年に渡って世界の幸福感は一貫して下降し続けているといいます。

その上、私たちは、私たちの拠り所である地球環境すらも破壊に追いやってしまっています。

貧富の格差は、絶対王政の頃より開いてしまっているのでしょうはないでしょうか。

そして2020年に全世界を襲ったコロナパンデミックはそんな人類の現状に対する警鐘であったようにも感じます。

現代社会に必要な破壊的イノベーション

では、そんな現代社会に必要な破壊的イノベーションとは一体どんなものなのでしょうか。

私はそれを考えるためにまず必要なことは「原点に立ち戻る」ことであると思います。

現代社会の中心商品である科学と資本は、宗教と絶対王政に対する反発として生まれました。信仰に対して理性、血縁に対して資本というように、より一人ひとりの自由に対して重きを置いた結果生まれたものです。

しかしそれらはあくまで相対的なものであり、そもそも「人間がどう在るべきか」「人間にとっての幸福とは」という本来最も大事にしなければならない基準点の定立は後回しにされてしまいました。それよりもまずこの不自由から自由になろう、と。

つまり私たちは本来あるべき人間の在り方、つまりイノベーションのジレンマでいう人間本来の正しいニーズの発見がないままに、ここまで来てしまった結果、多くの問題が勃発し続けてしまっています。

ITの発展は確かに多くの恩恵を生みましたが、同時に多くの弊害も生み出しました。しかしこの先に本当に人類共同体の幸福があるのか、と言われれば疑問が戻ります。

ですから私たちが今すべきことは、過去の延長線上にのみ自分たちの未来を描くことではなく、それらの大前提を破壊し、原点に立ち戻り、0から自分たち人類の進むべき方向性を再考しなければならないと感じます。

原点回帰〜学問の完成なくして、新のイノベーションは起こらない〜

その上で私は、現代社会は「学問の完成」が起こるタイミングだと思っています

学問の完成とはつまり、これまで人類が答えられなかった多くの難題に対して、人類が答えを出すときということです。

宇宙の始まりとは。宇宙の素材とは。
宇宙全てを成り立たせる最終理論とは。
人間はなぜ何のために、どのように生まれたのか。
人間の幸福とは。人間とはどう在るべきなのか。
究極の真理とは・・・etc

なぜならば多くの人達が警鐘を鳴らしているように、力を持ちすぎた自分たちの力で、自分たちを破滅の危機に追いやってしまっているからです。

そしてその原点から、全てを整理し直すことで、現代社会が抱えている問題が一掃され、全く新たな社会秩序を構築することができると思っています。

ではそんな秩序は、どこからどのように生まれるのでしょうか。

0=∞=1の可能性〜出発からの整理〜

私はその解決先を、令和哲学者ノジェスが体系化した0=∞=1に見出しています。

彼は1995年に韓国から日本に渡り、自殺衝動との葛藤の果てに0=∞=1のイメージを獲得し、それを全人類と共有するためにこれまで26年に渡って、そのイメージの体系化に努めてきました。

そして現在では多くの仲間、多くの支持者とともに、それを完全学問として整理し、世界基軸教育として全世界が疎通交流することができる共通土台として構築しようと励んでいます。

彼の紹介動画と、完全学問を紹介する動画です。

ジャマイカでの日本人としての恥を越えて

私はそんな0=∞=1と、日本人としての情けなさに打ちひしがれているときに出会いました。

私は21歳のときに、将来の道に迷い大学を休学し、ジャマイカという国に3ヶ月ほど滞在していました。そこではこれまで日本では知る由もなかった現代社会の複雑さと理不尽さに出会いました。

ジャマイカは1500年代に西洋人の手で、インディアン系の現地人が著しく減少し、代わりにアフリカ系の人々がアフリカの地から、カリブ海の島に連れて来られました。そして彼らは400年以上に渡って奴隷として従事させられ、1962年にイギリスから独立するも、これまで国家として何も醸成することができなかったその小国は、グローバリゼーションという名の元に、巨大国家や巨大企業の波に一気に飲み込まれていきました。

地場産業を育てることもできず、雇用も満足に生み出すこともできない状況では、そこから溢れた多くの若者達は犯罪に手を染めるしかありません。2018年時点のデータでは、ジャマイカの10万人あたりの殺人発生率は43.85件で世界2位です。ちなみに日本は0.26件で154位/156位です。私が滞在している3ヶ月の間にも、私を良くしてくれた日本人の方が銃で殺されました。私が滞在していた地域の親戚も殺されました。私が遊びに行ったクラブも前日に殺人がありました。たった三ヶ月に間にです。

しかし彼らにはどうすることもできません。日本のように地理的要因によって他国から守られる事はありませんでした。日本のように気候に恵まれることはありませんでした。日本のように数千年単位に渡って自国の文化を育てることはできませんでした。

しかし彼らは突如として連れ去られ、突き放され、ゲームに参加させられたのです。

そんな彼らに対してどうでしょう。私たち日本人は何をしているのでしょうか。私たち日本人は何を感じて生きているのでしょうか。日本はジャマイカとは違います。

自分たちの置かれた立場も理解できず、自分たちが持っている力を自覚できず、ただただ目先のことだけを、自分たちの利益だけを追い求め、結果的に精神病のような国になってしまっています。

私はジャマイカという国からそんな日本の状況をみて、恥ずかしくて恥ずかしくて溜まらなくなりました。悔しくて、情けなくて、毎日のように涙しました。一体私たちは何をしているんだろうかと。

そして私はこんな状況に陥っている人類共同体に対して、本当に今の自分たちがすべきことを模索し、足掻いていたときに出会ったものが0=∞=1であり、令和哲学者ノジェスさんでした。

探しても探しても見つけることが出来なかった、人間の本来あるべき姿。人類の進むべき方向性。私たちがやるべきこと。

それまでバラバラで何一つ繋がりの見えなかった全てピースが、その出会いによって一気に繋がり、私はまた、涙しました。

そういうことだったのか、と。

そして私はその時から、令和哲学者ノジェスさんの0=∞=1を学ぶとともに、その概念をこの人類共同体へ広げていくことを決意しました。

終わりに

コロナパンデミックは私たちに何を訴えているのでしょうか。私たち人類の幸福は、本当に現在の延長線上にあるのでしょうか。

私がいま、何よりも重要なことは「原点回帰」だと思っています。

世界が混乱に陥り、方向性を喪失してしまっている今こそ、原点に立ち戻り、そこから思考を出発させること。私はそれでしか、これからの自分たちの、人類全体の方向性を見出すことは不可能だと思っています。

そして私はそこに対して、0=∞=1が人類共同体に大きな貢献をすることは間違いないと思っています。

だからこそ一人でも多くの方々がこのイメージに触れ、そこに対して確信を持った人たちから、大きな社会のうねりを作っていくことが必要だと感じます。

もしこの文章を読んで0=∞=1に今日を持たれたのであれば、ちょうどいまノジェスさんの新著『心感覚』が発売されていますのでぜひ手にとって見て下さい。私も昨日読み終えたばかりですが、とても分かりやすく全体像が網羅されています。

生きる方向性、社会の方向性に迷っている一人でも多くの方にこのメッセージが届くことを祈っています。

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