黒人暴行死事件から考えたこと

まず、友人にこの記事をシェアされたのですが、とても納得する内容だったのでぜひ読んでいただきたいです。

人種差別はただ、「私は差別に反対」と訴えることで終わらない。社会構造の中に潜んでいる構造的人種差別について考えなくてはならない。その構造を変えることはできるのは特権階級。私たち日本人は特権階級側にいるのだから、その特権を使って行動しなくてはならないのだ。だから、今回の事件で白人、いや全世界の人々が声を上げているのだ。自分の特権を最大に生かして、この理不尽な社会構造を変えようとしているのだ。
このようなことがよくわかった記事でした。浅沼さんありがとうございます。

さて、私が今回の事件で考えたことを3つ述べる。

①人種差別について

そもそも私がこのことを知ったのはtwitterで流れた映像だった。
目が離せなかった。泣いた。息が苦しくなった。こんな風に人を殺せるなんて本当に本当に許せなかった
警察は正義の味方だと思っていた。私たち国民を守ってくれる超かっこいい大人だと思ってた。でも違う。警察の思う国民は、差別と偏見の塊で限定されていた。
このような警察による不当な殺害は昔からずっと続いてきた。それを私はこの日初めて知ったのだ。差別がいけないことも、過去にあった差別の運動についても歴史の授業で勉強していたので、知っていた。キング牧師の公民権運動の時のスピーチは、中学校の英語の教科書で出てくるくらい有名で、「差別は本当にいけないものだ」とここで実感した。でも、人種差別はキング牧師のおかげでもう治っているのかと思っていた。そりゃあ見えない差別はまだたくさんあるし、なくなることはそう簡単ではないことはわかっていたが、ここまでひどい人種差別をする人なんてもういないと思っていた。

でも違った。人種差別は残念ながら今でも残酷なまでに残っている。肌の色が違うだけで、亡くなった人、怖い思いをする人、嫌な思いをする人、平等に扱われない人、苦しんでいる人がたっっっくさんいる。なのに、それを知らなかった私はまさに特権階級そのものである。そもそも、「黒人男性が白人警官によって殺害」と黒人というワードと白人というワードをつけていること自体が差別なのだ。もし両者が対等な者同士であるのなら、そのような記号化などもされなかったはずだ。このように知らない間に差別はあるのだ。そして、これに気づけなくなっている私はprivilegedなのだ。

特権を持っている私にできること。それは、上の記事で浅沼さんは述べていたように、この特権を、この腐った社会構造を正すために大いに使うことだ。それをどう使うか。

大学生であり、日本人であり、留学経験のある私にできることは何か。**

私がたどり着いた答えは、**
知って、考えて、話し合うこと。

まず、知ること。知るというのは、自分で勉強することだ。
私は、今までこのようなことがあることを知らなかった。だから、知る必要、知る責任がある。今までの歴史や他にも今まで起こってきた事件について知る。
そして考える。なぜこのようなことが起こってしまったのか。その時の差別する側の気持ちとされる側の気持ち両方を考える。そして、自分に何ができるのかも考える。
でも一人で考えていてはいけない。それを誰かと話し合う必要がある。なぜなら、この世の中は、多い方の考えが勝ちになるのだから、多くの人が、社会の中に差別をなくす意識を持つ必要があるからだ。自分一人の力でどうにかなるものじゃないと思うかもしれないが、このSNSの投稿が瞬く間に拡がっていったように、そして、第三者よりも知人からの情報の方が信頼性があるのように、知っている人同士で話し合うことは大いに意味があるのだ。
また、権力を唯一倒せるのは民衆だと私は考えている。民衆が声を上げることは無意味なんかではない。今まで、民衆は権力に対して声をあげ、奴らをひっくり返してきたのだから。
だから、知って、考えて、話し合う。まずそこから私は始めたい。それから何をするかと言われれば色々なアクションがある。ただ、寄付や署名、デモへの参加だけで終わりでは意味ない。し、なくならない。これはずっとずっと考えていかなければならない問題なのだ。

②SNSの怖さ

また、今回のことで私はSNSの力強さをいい意味でも悪い意味でも知った。
SNS上でこの動画が流れたことで、海の向こう側にいる私にさえもその情報は届き、皆がSNSで発信したことになり、多くの人が人種差別について深く考えることになった。もし、ここまで広がらなければ、ここまで人は動かなかっただろう。多くの人へこの事実を知らせることができたという点でSNSは吉に働いたと思う。
一方で、誤解や問題の形骸化もたくさん生まれた。

#BlackLivesMatterか #AllLivesMatterなのかについての議論。私は最初#BlackLivesMatterの意味が理解できていなかった。「黒人だけ」かんが強くて、じゃあ他の問題はどうなの?という疑問を恥ずかしながら抱いてしまった。だが、Billie Eilishが発言していたように、全ての命が大切なのは当たり前のことであり、今は、黒人の人が困っている状況なんだから、彼らの力になろうよという意味だったのだ。誤解をしてしまったのは、私だけではなかったみたいで、この議論もネット上で繰り広げられている。
また、私はBlackouttuesdayによる黒い画の投稿には違和感を覚えた。流行りのようにしか見えなかったのだ。ここで言いたいのは、SNSに投稿すればいいという問題ではないということ。もちろん、そういう想いじゃない人もたくさんいるとは思うのだが、私には流行りの要素が強いようにしか思えなかった。また、「黙っていることは差別に加担することと同じだ」というメッセージもたくさん流れた。だが、ここで私は言いたい。SNS上で黙っていること、考えていないことは一緒ではないということ。なんだか、自分は差別主義者じゃないとPRしたいがために投稿している人が少なくともいた気がするのだ。あなたは、なんのために、誰のために、声をあげているのか。自分のためになっていないのか。そんな風に思った。私はこのように批判しているが、その投稿した人たちが果たして、そのように思っていたのかいなかったのかなんて1つの投稿でわかるはずもない。だけど、「あの人は投稿していないから考えていない」みたいな風潮が起きて、企業や芸能人たちが続々とあの黒い四角を投稿するのだ。
もう一度言う、あなたは、なんのために、誰のために、声をあげているのか。自分のためになっていないのか。
SNSは怖い。誤解の波とそれに埋もれる本当の問題。SNSとは上手に付き合わなければならにと思った。

③ガラパゴス諸島ニッポンと情報のかくれんぼ

また、この問題で明らかになったのは、いかに日本が外国のニュースを報道しないこと、また情報が隠されることということだ。事件が起こった28日。日本ではまだまだ知られていなかった。SNSでこのことを取り上げる日本人インスタグラマーたちもまだまだ全然いなかった。英語が身近でない日本人にとって英語での情報は入ってこない。だから、しばらくたって日本のメディアで報道されるようになって初めて、世間は騒ぎ始めたのだ。
遅い。
日本は遅れている。
情報伝達が遅い理由は他にもあるとは思うのだが、英語がまだまだ身近でないと言うことは1つの要因であると思う。
日本人の英語のできなさは留学して痛いほど感じた。世界はもう、英語は話せて当たり前なのだ。それなのに、まだ、「英語やらなきゃな〜」とやるやる言ってやらない日本人は遅れている。英語が話せないことはもうすでに世界から遅れをとっているのだ。私たち日本人は世の中、世界に対して関心が薄すすぎる。もっと目を向けないとまんまと周りに抜かされるぞ。

また、あまり大沙汰にはとりだたされていなかったが、#0530渋谷署前抗議というハッシュタグで、5月30日に警官によるクルド人男性への不当な暴力行為についてのデモが行われていた。もちろんこのことをn◯kが取り上げるはずもなく、この出来事は世間の目から遠い場所へと追いやられた。こうして、日本国内では、報道されていない隠された情報がたくさんある。だからこそ海外メディアの情報、英語の情報を取り入れられるようになった方がいいのだ。内部のことは外からしか見えないんだから。

ちょっと内容はそれるが、私は渋谷警察の人種差別的な扱いについて、夕食時に家族に話した。すると妹が、「その止められた人は悪いことしたんじゃないの、日本人がそんなことするはずないよ」と言った。ああ、出たよ。「日本人なら◯◯するはずがない。」って発想。
日本人はえらい、悪いことはしない善良な国民なんて保証はどこにもない。私もそうだが、日本人は無駄にプライドが高い。けど、そのプライドは、差別の目、偏見の目を知らず知らずの間に作り上げている。そのことを忘れてはならない。


以上が私の考えたこと。私は先に述べたように、知って、考えて、話し合うことが必要だと考えている。だから、多くの人にこの差別の問題について、強く受け止め、考えて欲しいと思ったので、noteに投稿することにした。私の書いた内容の中に不適切なことがあるかもしれない。もしあったのならコメント欄に書いて欲しい。それによって私は反省し、学ぶことができるのだから。この出来事は改めて自分の無力さ、知識不足を痛感させられた。これからの世代を担う私にできること。それは、このような世の中の不均衡に気づき、正すための行動を起こすこと。私はここで宣言をする。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?