普通の大学生がレーシングドライバーを目指したわけ。(1)
こんにちは。
富田竜一郎です。
noteのアカウントを作ってはや一年近く、何も書かずに放置しておりました。これから少しずつ思いの丈をつらつらと書き留めていこうと思います。
初回から数回にわたって、よく色んなところで聞かれるけど、あんまりちゃんと話したことがない「いつ、どうやってSUPERGTにでられるようになったのか」「なぜドライバーになろうと思ったのか」を書いていこうかな。
そもそも僕、というかうちの両親は車が大好きで、二人とも割りとおかっ飛ばしになられるタイプの人でした。そんな家に生まれた竜一郎少年が車好きにならない訳もなく、絵本の代わりに外車系の車雑誌を読み漁り、レースゲームに明け暮れ、合間にはベストモータリングやカーグラフィックTVを観るという、なかなかパンチの効いたキッズとして育ちました。
僕の幼少期はアイルトン・セナとホンダによるF1ブーム真っ盛り。もちろんうちでも、毎週録画したF1を月曜日の夕方に父と観るのが恒例となっておりました。
そんな幼少期の僕の夢は「レーシングドライバー」。
父がサーキットを走り始めたのをきっかけに、カートにもハマり、そんな親が息子にさせることと言えば「子供にもカートをやらせる」という自然な流れで当時あまりポピュラーではなかったキッズカートのようなものを作って、サーキットデビューしたのが4歳の時。
はじめてのヘルメットはもちろんアイルトン・セナカラー。
しかし、習い事のように毎週水曜日に新東京に通わされるも全く速くならず、小学校入学を期に新東京通いは終了。以後たまーに乗りに行く程度でレースに出ることもなく、小学校を卒業。カートレースをやってみたい気持ちがありつつも、レースには非常にお金がかかることを知り、以降はレースと車好きな特になんの変哲もない中学、高校生活を過ごしていきました。
そして18になった大学1年生の年。勿論自動車免許を取りに教習所に申し込み、教習をスタート!
…とならず、大学ではじめたバンドが楽しく一向に通わないうちに期限が切れ、教習所を退所(すげーめんどくさいことになるので皆様はきちんと卒業してください)。更にレースから遠ざかります。
↑わかかりし頃のわたし。
転機が訪れるのは21歳。2009年の事です。こんなところで書いていいのかわかりませんが、父が免停になってしまいます。仕事上車がないと厳しく、父から急いで免許とってきてくれとのお達しが。それを期に即免許をとり、夏前に免許を取得。そして翌年、はじめてサーキットを走ることになります。
「お前いつレース始めるんだよ」
そう皆さんお思いでしょう。僕も書いていて思いました。こいつマジでレースと遠いとこに生きてんなと。 ちょっと長くなってしまったので、続きは次回。
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