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家にいるときの、こわさとさみしさについて
実家で暮らしていた高校生まで、家にだれかがいることがこわかった。知らないだれかではなく、家族のだれか。妹以外のだれか。
一緒にごはんを食べることも、テレビを見ることもいやで、すれちがいざまに声をかけられるとビクっとした。
あそこにわたしの居場所はなかった。こころをリラックスさせる場所なんてどこにも。
全員が寝静まった深夜、星灯りと虫のこえだけがわたしの味方で、話をきいてくれるのは涙だった。ベッドにもぐりこみ、窓から外をながめて通り過ぎて行く車を目で追った。
わたしは長いこと当時の感情がわからなかった。
ただただ実家を出たくて、実家を出ればなにかが変わるとか変わらないとか、それさえも考えられずに、逃げる道がまだ残っている希望だけが酸素としてわたしを生かした。
最近になって、あたらしく自分で選んだ家族と暮らしはじめた。血のつながりがいちばん信用ならないから、血のつながらないだれかと暮らすことは念願で、遠い遠い、ミライだったかもしれない。
家の中にいながら「かえりたいなあ」とおもうことはない。あのころは帰る場所なんて、ほんとうにどこにも、なかったのだ。
パートナーは仕事が忙しく、残業ばかりしていて、ふたりで暮らしているのにひとり暮らしのような日々を送っている。
でも、満たされている。ベッドに入って眠れずに、涙にささやく夜はほとんどなくなった。
****
このまえ、PMSの影響もあってか、パートナーに対して些細なことでいらいらしてしまった。だけどそのいらいらをうまく伝えられなくて、ただ黙ってむっつりした態度でいる自分にまたいらいらして、負のループを断てずにずるずる何日も過ぎた。
わたしばかり家事をしている。でも相手は残業してるし、わたしが先に帰ったら家事をするのは当然だ。だけど帰ってきたらご飯があって洗濯も終わっていて、きれいな部屋でくつろいで寝るだけなのは、さすがに怒ってもいい案件なのでは。休日だって、お風呂掃除もトイレ掃除もわたしがして。そういえば、ともだちが言ってた。お互い働いているのだから、家事は分担して当たり前なのだと。残業のあるなしではないと。でもよそはよそ、うちはうち。ともだちの当たり前が、わたしたちの当たり前とはかぎらない。だけど。
感じてはならない感情はないといっても、いらいらをそのまま伝えても解決しない。それはわかっていて、ぐるぐる考えて、怒りが怒りのまま変化せずに、今日もまた話さないまま。おかえりと小さくつぶやく声が聞こえたかどうか自信はない。
何日も考え続けた先に、負のループから細い細い糸くずが飛びでて、辿っていくと、ゴールに鎮座していたのは「さみしい」だった。
さみしい。
うまれてはじめて感じたそれは、誰かがいっしょにいて、誰かがいっしょにいなくて、はじめて生まれるきもちなのではないか。
ふと、妹のことを想った。
彼女はまだ、さみしい、をきっと知らない。
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実家にいたころ、家にひとりでいると安心していた。家にだれかがいると緊張さえして、話しかけられるのがこわかった。ただトイレに行きたいだけなのに、自分の部屋を出るタイミングを見計らって。あのころ、「さみしい」なんて感情は、存在していなかった。いらいらを自分の感情として認識することもむずかしかったのだ。
わたしの両親は、記憶にあるかぎり、不仲だ。ずうっと。
父はいっさい家事をしない。仕事で遅くまで帰らない。母はパートをしながらすべての家事をこなす。効率重視で完璧主義なので、頭の中にこまかい決まりがあって、子供のわたしと妹も、どう手伝えばいいのかわからない。
こころのどこかで、家事をぜんぶ引き受けることは、両親の関係と同じことになると思っていたのかもしれないと気づいた。
すべてをきっちりこなそうと、いつもせかせか、余裕のない母。たまの休みで家にいても、なにもしない父。会話のない空間。気まずさ。居心地のわるさ。強ばるこころ。
家事をすべて引き受けると、母と同じになる。パートナーは父と同じになる。会話がなくなる。息が吸えなくなる。
呪いを解くためにわたしは結婚したのに、この人となら、わたしが知らないかたちの家族を作れるとおもったから結婚したのに、そんなことをすっかり忘れて。
わたしは母ではないし、パートナーは父ではない。
わたしは母ではないし、パートナーは父ではない。
忘れないように、なんども繰り返す。わたしは母ではないし、パートナーは父ではない。無意識に重ねてしまったことを謝りたい。心の奥底で、自分でも気がつかなかった場所で、あなたをちゃんと見ていなかったことを。
何日も溜め込んだいらいらが、すっと溶けた。
負のループは過去になって、たぶんまたミライで待っているけれど。
****
結婚式はしません、と両親に報告した。
既読無視したあと2日後に、残念で返信できずにいました、といった父を、わたしは残念におもった。
じゃあ私は結婚式をしないといけないね、とわらった妹を、わたしは全力で救いたい。
わたしは妹に「さみしい」を知ってほしい。
誰かがいっしょにいて、誰かがいっしょにいなくて、さみしい気持ちを。わたしはわたしの、妹は妹の、それぞれの気持ちで、素直に生きていいのだということを。親を喜ばせるために、わたしたちは生きているのではないことを。
それはエゴなのかもしれない。わたしができないことを、妹に押しつけるみたいになるのは心苦しいから。申し訳ないから。
妹には妹の人生がある。自分の人生もまだまっすぐ進めないわたしが、ひとの人生をどうこうしたいなんて、きっとおこがましい。
安心がなかったあの家で、妹がどんな気持ちで過ごしていたのか聞いてみたい。そのためにはきっと、わたしがどんな気持ちで過ごしていたのか話す必要がある。まずはそれからだ。そしてそれは、わたしがこれからパートナーと作るミライにも繋がる。
こわい、と、さみしい、のちがいを考える。
心の奥底に、たいせつなだれかが見えるかどうかのちがいだ。
自分の意見を押し通したいだけのケンカは無意味だ。でもだからといって自分の意見を押し殺すのも無意味だ。
ケンカするほど仲がいいかは正直わからない。両親の言い争いで、仲が深まっているようには到底おもえなかった。
わたしたちには、話し合いが必要だ。いらいらも不安も、感情を全部持ったまま、でも、相手を思いやる気持ちを忘れずに向き合う。それはケンカとはちがう。言い争いとはちがう。両親とは、ちがう。
あたりまえに自分がいていい場所がある。帰りたいとおもう。
さみしいとおもえる。ここは、こわくない。
呪いはまだ続いて、もしかしたら一生続いて、どこかでケリをつけたいと思いながら、そんな日はこないかもしれなくて。時間がなんとなく薄めてくれることを少し期待しながら、忘れるように生きるしかない。
話したいひとと話をしよう。妹と、パートナーと。
だいじょうぶ。
わたしはわたしの人生を生きる。
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