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語彙でオタクを殺す

iPhoneをアイフォンと呼んでいた頃を思い出す、今みたいにスマホ、なんて軽い呼び方ではなく。10年以上前、携帯電話を主流とする世の中に二つ折りでないそれは不思議がられて、未知のものとして扱われていた。

私は中学一年生の頃父の使い古しのiPhone4sを譲り受けた。四角くて分厚くて、ちょっと重たいそれは教室で格好の話題となった。友達が次々に机の周りに集まって先生に隠れてTEMPLE RUNをやった。わたしはそのスマホにイギリス国旗の赤を薄ピンクにしたような柄のカバーをつけていて、壁紙は確か泣いている二次元の女の子の画像だった気がする。

初めて仲良くなった友達はアニメ研究部の絵が上手な子だった。赤いアンドロイドのスマホにはサン宝石で買ったピンク色のモケモケのデカいしっぽがぶら下がっていた。その中にはもちろんpixivとTwitterが入っており、わたしにTwitterを勧めたのもその子だった。ラブライブ!では凛ちゃんが好きだった。その子はよく笑っていた。学年で一番遠方から通学していたのに、疲れをそんなに見せなかったのを覚えている。

初めてカラオケに行った時には彼女はユニコーン柄のタイツを履いていて、ソードアートオンライン無印の主題歌を歌ってくれた。わたしがカラオケで初めて歌った曲は黒うさPの紅一葉だった。彼女のが上手に歌を歌っていて、わたしもこんな風に歌を歌えたらなぁと思っていた。これは一つの憧れであったと思う。その時に行った池袋のカラオケマックはまだ映画館の地下に存在する。

アニメ好きの女の子が学年が上がるにつれヒエラルキーを鑑みてケーポップを聴くのは悲しかった。何がシャイニーだ。ソニョだ。バンタンだ。許せない。あんな生きた男を見てペンライトを振っているだけの彼女じゃなかったはずだろう。中学一年生の頃には教室でルカルカ⭐︎ナイトフィーバーを一緒に踊っていたのに。この男の子がかっこいいとか、そういう現実じみたことは聞きたくなかった。高校生になってみんなに合わせて化粧をして、モテを意識したトレンチコートで待ち合わせに来るのが苦しかった。

わたしはあの頃の輝いていたその人に憧れていた。絵を好きに描いて、休み時間に嬉々として見せてくれて、よくわからない分厚い本を読み、知らないネットスラングを教えてくれるその人が美しいと思っていたのに、社会に染められてしまうのが悲しかっただけだ。趣味の一つを友達と話す道具のようにしてしまうのが苦しかっただけだ。なんで周りに合わせようとするの、私の知っているあなたはどこに行ってしまったの。私はそらるが好きなあの子が好きだった。アニメイトで嬉々として歌い手の本を買うあの子に憧れていた。現実の男が妙に嫌いなのは、私の愛すべき女子校生活を狂わせてしまったからだと思う。

彼女に勧められたTwitterをまだやめられていない。これはきっと一つの執着だ。彼女の勧めてくれたTwitterのあの景色を、出会った友達を、みんなを集めてPSVitaでSkypeに繋いで夜中に会議したあの背徳感を忘れられない。いろんなことがあったけど、社会に負けずに生きてこられたのはTwitterのお陰であることは確かなのだ。私には手放した憧れの数々を眺めて、宝箱にしまう時間がまだ必要だ。きっと、もっと心の奥底に眠る本当の憧れがそこにあるはずだ。私の社会に汚されたリビドーが、一般に霞もうとした暗闇が。今持っている憧れをあの頃のむしゃくしゃした気持ちで壊さないように、手を離れたものを尊く思う期間が必要なのだ。LINEを初めてやった時にその子とペア画にしたアイコンはもう覚えていないけれど。

Twitterを辞める頃には、素敵な憧れをもっと近くに置けるようになっているといいな。語彙で隠れオタクを殺そうと思った文章でした。

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