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思い込みって根深い。自分を見るメガネが歪みまくっていることに気づいた話

昔から自己卑下しがちであることは知っていたが、予想以上のレベルだったとは。

自分って、予想以上に、自分のことを低くみている…!

昨日、おーつーさんとスタエフの雑談コラボをした。
私にとってははじめてのライブ&コラボ。

もちろん、おーつーさんやわざわざ聞きにきてくださった方のおかげで、とても楽しく、発見のある時間を過ごせた。

でもね、終わったあとで、なんとなく不安に。

変なこと言わなかったかな?
声の大きさ(スマホとの距離)大丈夫だったかな?
キモい声で話していないかな?
相槌や笑い声は大丈夫かな?
あのとき、あんなこと言った気がするけど、適切な言葉だったかな?

などなど、ひとり反省会ならぬ、ひとり反芻会がはじまったのである。


長年染み付いたクセはなかなか抜けない。

数年前に、反芻思考はダメだと学んだ。
やめた…つもりだった。

だけど、ここからは以前の自分とは違うのだ。

スタエフには録音というものがある。
自分の声を聞くのは、いい気持ちはしないけれど、それでも聞けるようになってきた(以前は、どうしても聞けなかった)ので、ライブの録音を再生してみることに…。

あれ?意外と普通じゃん。
他の方のコラボみたい!(笑)

「いやー、あの人たちすごいな、スタエフとかスペースでコラボしてるよ。自分には無理だな。」なんてかつて思っていた、異世界人だと思っていた「あの人たち」の仲間入りをしていたのだ。それも、気付かぬうちに。

もちろん、上手い人やクレバーな人に比べたら、褒められたもんではないだろうけれど、
「意外と大丈夫じゃん」って思えたのでした。

ただ単に、自己評価や自己イメージが低すぎたのだろう。
苦手なことに関してはとくに。

そう、だから、録画も録音もないけれど、先々週のPTAの親子クッキングの進行だって、きっとそんなに悪くはなかったはず。

友人にも「よかったよ」って言ってもらえた。
それを、ただ素直に受け取ればよかっただけだったのだ。

また、昨日のスタエフ中に、なみさん(方眼ノートという神メソッドを授けてくださった方)が、「(いい方向に)変わったよ」とコメントしてくださった。
そのときは「本当ですか〜?」なんて、つい自己卑下しかけたけれど、それも素直に受け取ればよかったのだ。

自分にあったメガネは、いつでも選び直せる

過去は過去。
そのときは、その生き方しか出来なかった。
だからOK。

メガネの度やフレームだって、自分に合わなくなってきたら調整する。
それと同じように、自分を見る目だって、調整していけばいいのだ。

新しいメガネをかけたみたいに、視界がひらける。
そんな匂いがしてきた。


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