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「取り返しのつく」関係の有り難さ

三連休の週末に感じた小さな気持ちについてで、「取り返しのつく」関係って本当にありがたいなぁということ。自分の場合は主に家族のことです。

3連休の土曜朝に、家族で長男次男の歯医者(メンテナンス)に出かける時に5才次男が勝手に鍵を開けて飛び出そうとしたので「こら!」と言ったらすごく拗ねてしまったということがありました(その前にTVを観ながらパンを落としたので「こら!」と言ったという伏線もありました)。次男からしたら平日あまり話す時間もない父親から、土曜朝に2回連続で怒られてしまって(これは自分のしかり方が悪かったと反省しています)、そこから顔も合わせてくれずに奥さんのほうにばっかり手を繋いでいって、半日くらい自分のことを避けられてしまいました。まるでこのまま、次男の気持ちが遠くに離れていってしまうんじゃないかと思えて自分もめちゃくちゃ寂しくなったのでした。手を握っても力の入らない次男の様子に自分もすごく傷つたり(まるで別れる前のカップルみたいですね)。

それでも、何度も笑いかけて「怒ってないよ、おいでおいで」していたら、お昼に帰宅してしばらくした頃に「抱っこ」と言ってきてくれて一安心。しばらくぎゅっとハグして、肩車や抱っこやおんぶして遊んでいたら「今日僕、お父さんとお風呂に入って一緒に寝る」と言ってくれて、結局3日間とも一緒にお風呂に入って布団で手を繋いで寝たのでした。寝床で「お父さん待ってね、お茶飲んだら手を繋ぐからね」と次男が言ってくれた時の照れくさい気持ちがなんとも幸せやったなぁと。糸の切れたタコが飛んで行く前に、掴みに行って間に合ったような気持ちでめちゃくちゃ嬉しかったのでした。

順調そうに見える家族でも色々な山場があるものだと思いますが、自分もこれまでに奥さんや子供との関係で「もしかして取り返しがつかないかもしれないと思うような悲しい瞬間」って何度かあって、そのたびにものすごく悲しくなるのですが(そのうち1回は映画「ボヘミアン・ラプソディ」を観てしまって喪失感にものすごく落ち込んで)、ただ最後になんとかぎりぎり取り返しがついて戻ってこれたという感じです。その度に、取り返しのつくことって本当に有り難いことだなと思います。(1つ1つの事情は異なるので同じミスを繰り返しているという訳ではないのですが、なかなか折り合わない問題もあるものですね。)

もちろんいつも取り返しがつく訳ではないので、当たり前の関係を大事にすることが何より大事と思います。休みの日にソファに座りながらゲームをしている長男と次男、それを観ている三男がみんなそれぞれの足を自分にくっつけてお互いの温もりを感じている瞬間が、自分の幸せな瞬間やと覚えておこうと、思った3連休でした。そんな男連中を放っておいて、奥さんは社会復帰に向けて外にどんどん出かけていって活き活きしています。これも嬉しいことです。

久しぶりの投稿は刺激のない文章でした。なんでもない日常が、幸せやという話です。呑気ですみません。


※書籍紹介

「父の詫び状」向田邦子

なんでもない日常というテーマから連想した本です。戦前の生命保険会社サラリーマンの家で暮らした向田邦子さんの、日常の何気ない出来事をユーモラスに綴るエッセイ。妹尾河童さんの「少年H」もそうでしたが、何十年も時を超えて今に通じるユーモアというものはあるものですね。人を傷つけないユーモアから確かな知性を感じるのは、常に謙虚さや自己批判的な姿勢が一貫しているからかもしれません。