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誇りと美意識と武装

前回の装いに纏わる内容と近い話です
センシティブな話題かとは思いますが
個人的には長い間、身近で普通な文化として認識しています
詳細は所々割愛しますが

SNSを眺める時間の増えた最近、良く目にする光景から感じた事
装い、メイクに合わせてタトゥー、刺青について
この10~20年ほどはファッションの一環として
ある程度の認知も得ているかと思います
が、まだまだ否定的で不快感を示す人が多いのも事実

「なぜ?」
まず、日本では一般的にそのスジの方々のイメージが強い
これが第一要因ではないかと思われます
体に柄=反社会的=コワイ
そんな思考が多いのかなと感じます
では、なぜその道の人は墨を入れているのか
知らないはコワイに繋がる
「なぜ?」を解明しないと安直にコワイになる

一足飛びに解釈するとお守りであり、武装である
こう認識しています
日本の不思議なところは未だ鎖国意識が強い事
これは個人の主観ですが、度々遭遇します
情報が溢れ、知識の奔流に晒される現代
自分が知らないモノに直面した時
しっかりと調べ、知る努力をする人がどれほどいるか
どうでしょう?
振り返ってみると案外決めつけて知ろうともせず
肌感覚、世論、風潮に乗っていることはないでしょうか

さて、少し脱線しましたが
そもそも体に模様を刻み込む文化は世界的には多いです
欧米でもそうだし、何処かの部族の古来の文化でも
「なぜ?」模様を刻み込むのか
成人の証
戦士の証
同じ民の証
何かしらの「証」なのです
刻み込むので痛みが伴います
耐えられる証であり、強さの証、決意の証でもある

一瞬、日本に戻りましょう
どうでしょう?
その道の人々がなぜ墨を刻み込むのか
耐えて、強く、決意する
そして危険の伴う稼業でもあるので
それぞれの想いを込めたお守りでもある
元来、絶対悪ではなく天下泰平の世の中
完全にはなくならない荒事を請け負う用心棒
明治以前のカタチではないでしょうか
文明開化、廃刀から刀剣に纏わる事は反社会的
と、そのような流れから定着した認識ではないでしょうか

元より単一民族地域でもないのに古くから制圧と侵攻に因って閉鎖的な単一民族国家を作り上げた日本
鎖国を終えてなお、何かしらの標的を作り、理由を作り
排除する事で新しい時代を作る道へ進む
新しきを吸収し、古きを知り広げる道ではなく
精神的鎖国への道へ
そんなイメージが今日まで影響しているのではないでしょうか
あらゆるモノを廃止し、排除して民主的と言う名の独裁
民族的な文化として本来は日本の範囲に存在していた琉球の文化「ハジチ」もそういう多様性の無さ
理解の無さから迫害され、消えていった文化ではないか

掘り下げてみれば特定の民族、職種などの誇りであり、お守りであり文化
欧米でも危険を伴う職種の人はしばしばタトゥーを入れている
警官や消防士、船乗り
耐える強さの証
刻む想いの証
そこには敬意を払える美しさすらなかろうか
現代、ファッションとして多少認知されて来た中にも
ただの飾りではなくそれなりの誇りがあると思われる

そして、未だ根強いネガティブイメージの為
刻んだモノを消すという行為も発生する
それも簡単な事ではなく、その時々決意であり
何かを乗り越え、新しく生まれ変わる様なモノ

小さな画面の向こう側
単調に繰り返す毎日の向こう側
視界に入ってきた自分の知らないモノを
実際に体験、ないし知ろうともせず
流されて何となく判断し
何となく否定し
何となく避難する
大袈裟ではなく、このような感覚こそが
差別、迫害、弾圧
最終的に弾圧の種子となり得るのではないか

今、この瞬間の自分に理解出来ない事を放置して
知ったつもりの知識で叩いて排除するよりも
見慣れないモノにこそ興味を持ち、知っていく事の方が
より多様で広く自由な世界を作るのではないかと思う
どうでしょうか、知らないモノに寛容に見聞を広げた先にはより良い何かが見えるかも知れません

最後に、タイトル画像は彼岸花をトライバル調にしてみたモノです
和名から何となく死を連想し、不吉なイメージを持ちがちな人も多いかと思います
赤い彼岸花の花言葉には「情熱」や「独立」など鮮烈で強い上向きな意味があり
学名はリコリス、ギリシア神話の海の精が由来です
掘り下げて見ればなんら不吉ではありません
知ろうとする事はとても大事なことであると思います

少し、説教臭くなってしまいましたが
最後までお付き合い頂きありがとうございます

この記事があなたの明日からの世界を
より良く出来れば幸いです

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