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[再掲]タピオカよ、お前はどこへ行くのか

2019.10.02

ポイ捨てされたタピオカに思う

 秋津にて丼丸がタピオカ屋になったとのニュースを聞き、私の愛する優良海鮮丼チェーンを飲み込んだ「流行」そのものへの怒りや憎悪が増幅していた今日この頃であった。

 しかしこうして公園に捨てられ蟻の浮いたプールと化したタピオカミルクティーを見ていると、ブームの空虚さや弊害を感じずにいられない。タピオカよ、持ち主はお前を最後まで味わってくれなかった。お前はお前を粗雑に消費し、飽きたからと言ってお前を簡単に捨てるこの社会に何の復讐も出来ないままここで朽ちていくのか。

 私はタピオカに同情している。最初は(恐らく)ただどこか巷のJKコミュニティで「美味しい」と評判になっただけであったはず。なのにそれを広告代理店やマスメディアに目をつけられてしまい(まあそういう仕事で飯食ってる人たちだからしゃーないんだけれど)、金儲けのネタとして持ち上げられ祭り上げられ、信じられない程のマーケティングがなされ、結局残ったのは大量発生した同じようなタピオカ屋と行列を作る少女たち、店の前でカップ片手に写真を撮る通路妨害。そして写真を撮って満足されたのか、植え込みに捨てられた無数のゴミ。こんな物だったのではないか。

 写真を撮ることそのものが「消費」になった現代であるが、「カワイイ写真撮れたからもういいや〜 ポイッ」みたいな風潮、ホント良くないと思うよ。ツイッター上にて「タピオカガエルの卵が乱獲されています!」といった面白いジョークがあったのを思い出す。実際それが事実であったとしても消費者はそんな情報を気にも留めなかったであろうし(「え〜おいしいから仕方なくない?」みたいな)、タピオカガエルはとっくに絶滅していたであろう。事実アザラシやバッファローで人類はそれを経験しているためあながち笑えないジョークでもあったかもしれない。

 しかしタピオカガエルが絶滅したとして、100%消費者が悪い、と言えるか?その無用な消費を巻き起こした、扇動した存在それこそが悪なのではないか?

 カエルのジョークは置いておいて、大事な事を言いたい。私は流行そのものが嫌いなのではない。

 それが儲かると知った瞬間涌いて出てくる、本家へのリスペクトが感じられない人間たち又は彼らによるプロダクトやプロジェクトに嫌悪感を感じるのである。言うね〜。

 例えば「入場料で1200円取られてトイレがないのに再入場不可」や「知らないタピオカ屋4店しか用意されていない」や「暗い、天井が低い、展示が文化祭レベル」など言われてプチ炎上した"東京タピオカランド"なのであるが…。このニュースを見て「これでブームも終息ですね」と言ったのは加藤浩次であった。そうだね。広告代理店の「稼げるうちに稼いどけ!」「適当にタピオカランドとか作ったらアホが並ぶっしょ笑」的マインドがもの凄く透けて見えるニュースだった。写真を撮るためだけの施設、こんなのが出てきたら本当のタピオカ愛好家をうんざりさせるのではないか。プロダクトへの"リスペクト"が全く感じられない、薄っぺらい施設。せっかくなのだから行って「2019年の出来事」として現状を見ておきたかった。

 タピオカはうまい。うまいから人が並ぶ。おいしいからまた買う。こうしたシンプルな循環で回っていた筈なのに、一部の広告業者やメディアによって大袈裟に映し出されそれに踊らされてしまい、「平成最後期~令和最初期の大ブームアイテム」なんてものと化してしまったよう思う。そして最近耳にしたのだが、タピオカの次はバナナジュースが来るらしい。もう消費の矛先は向きを変えつつあるのだ。

 捨てられたタピオカに思う、いつの日かお前が誰からも手に取られなくなり、そしてまるで何も無かったかのように忘れられる日が来るのだろうか。お前がただの「一過性の流行りもの」として終わり、バナナに役割を置き換えられてしまう日が来るのだろうか?タピオカよ、お前はどこへ行くのか。2019年の記憶として消えるのには余りにも勿体無い甘味であったと思うので、皆さんタピオカの事をもっと大事に扱ってあげてください。終わり


追記:2019年を席巻したタピオカブームについてつらつら書かれた、当時の一大学生による随筆である。池袋を散歩途中思いついたタイトルで一本書いたのだが中々に各所で褒められて非常に心地よかった。久しぶりに目を通したら少し面白かったため再掲。

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