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音楽評 中村泰士となかにし礼

今年は著名人の訃報に多く接した印象が強かった1年だったが、年末に入って日本の流行歌の世界で、ヒットメーカーだったタイトルの二人の立て続けの訃報は、本当に昭和は遠くなるばかり、だという印象だった。奇しくも、2人は「北酒場」というレコード大賞も獲ったヒット曲を手掛けていた。この曲がヒットしたときは、自分は小学校3年生だったが、当時のテレビの歌番組は演歌やポップスという垣根もあまりなく、この曲もこぶしを握るというよりは、手拍子に乗せて歌うような感じだった。細川たかしも同じコンビによるデビュー曲「心のこり」の後は低迷し、「欽ちゃんのどこまでやるの」に連続出演して、この曲のことを小出しにしながら、ヒットにつなげていったという「サクセスストーリー」もその後の語り草になった。その後、細川が円天という詐欺企業の広告塔となっていたことが問題視され、紅白もしばらく出られない時期があったが、レイダーラモンRGが細川の真似をしながら「あるある」ネタを乗せて歌って復活を遂げたのも、「北酒場」のヒットがあったからこそといっても過言ではない。

両氏の曲は自分が生まれる前にヒットしたものが多いが、そんな自分でも耳に残る印象深い曲が多い。そこで両氏の曲をあえて3曲ピックアップしてみた。

なかにし礼ベスト3

ピーター「夜と朝のあいだに」

本人が前にテレビで話していたが、なかにしは「夜」と「朝」は、「男」と「女」の間という意味合いで作ったらしい。個人的に自分が知ったのは、自分が小学生から高校生くらいまでの間、テレ東で土曜の夜9時に生放送していた関口宏の「テレビあっとランダム」の中でワンコーナーの六本木ギャルインタビューのテーマソングだった。夜の六本木交差点で時事問題や常識などを尋ね、その無知ぶりを笑うという、今でいうと「噂の東京マガジン」の「やってTRY」のテイストの源流だった。今考えると、曲はちょっと暗め、内容は明るめでこのコントラストが良かったのかもしれない。

由紀さおり「手紙」

由紀さおりといえば、個人的にはドリフとコントしているorお姉さんの安田祥子と童謡or「夜明けのスキャット」という歌いだしが印象的な曲、という感じだった。この曲を初めて聴いたのは高校時代、なかにしが出演していたNHKFMの特番だだったのだが、曲調などから流行歌も歌っていたのか、という感じだった。この曲は1970年のヒットだが、当時は同棲をテーマにした曲が多く、この歌詞の内容も暮らしていた2人が別れるという内容だった。しばらくしてから、松田聖子もテレビ番組でこの曲が好きだと話していた。ウィキペディアだと由紀さおりも「夜明けのスキャット」はどちらかといえばイレギュラーな曲だったので、この曲が評価されて良かったと語っていたらしい。

黒沢年男「時には娼婦のように」

黒沢年男といえば、「踊るさんま御殿」などのバラエティー番組の出演ですっかり三枚目路線が定着し、最近では上沼と梶原の降板騒動にツイッターに言及したりで、ネット炎上芸人にもなりつつあるが、昔は硬派だった。司会は小島一慶に変わっていたが、ぴったしカンカンというクイズ番組に出ていた時に解答した際に「独り言」ですかと言われるほど、寡黙で硬派なイメージだった。この曲もそんな寡黙で硬派な黒沢の当時のイメージとマッチしていた。歌詞の内容がかなり過激だったが、俳優だった黒沢だったからこそ、ヒットにつながったのは間違いない。

中村泰士 ベスト3

ちあきなおみ 「喝采」

自分がこの曲を知ったのは、山田邦子の物まねを通してで、その後コロッケが物まねしているのを見て、そっちの方が本人により似ていると感じた。自分が中学から高校にかけては、金鳥の「タンスにゴン」のCMなどでコミカルな印象が強かった。その後、1972年のレコード大賞の映像など、ご本人が歌う姿を見て、ここまで歌詞の内容の通り、ドラマチックに歌い上げるのは単純に凄いなと感じた。改めて、動画で流れていた当時の映像を見ると、ここまでドラマチックに歌い上げる人は、今もこれからもなかなか現れないだろうと強く感じた次第。

いしだあゆみ「砂漠のような東京で」

いしだあゆみといえば、「ブルーライトヨコハマ」や「あなたならどうする」もヒットしたが、この曲も有名。初めて聞いたのは、高校のときに聴いていたラジオ番組だったが、歌詞に出てくる女性が、どこかやさぐれているような、尽くしているようなキャラクター設定。前述の2曲がどちらかというとテンポ感のある曲調なのに比べ、どことなく物悲しい感じが余計に印象に残った。いしだは80年代に入ると、「金妻」など女優としての活躍が目立つようになったが、この曲も何となく歌の主人公に入り込んだように、歌っていたような感じがある。ちなみにいしだと前述のなかにしは義理の姉弟。

五木ひろし「そして…めぐり逢い」

昔、ランキング番組があったころ、ほぼコンスタントといっていいほど、ランキングしていたのが五木ひろしだった。この曲も1985年で当時はポップスやニューミュージックが全盛だったなか、演歌・歌謡曲ではヒットを出し続けていた。ライバルと言われた森進一は紅白からは卒業したが、こちらは今年も出場だ。カラオケで歌いやすいのも特徴で、この曲もその1つで、私見では結構幅広い年代に歌われている気がする。

#ヒット曲 #なかにし礼 #中村泰士