月組『BADDY』が与えそうな影響

まさかの唯一の観劇がアフロでした。
普通の日とは別物かもしれません。

 最近の宝塚では「体感させる」要素を強く感じる。星組『ベルリン、わが愛』ではレビューショーや映画館にいるような演出が目立ち、本作の1幕 『カンパニー -努力(レッスン)、情熱(パッション)、そして仲間たち(カンパニー)-』でもバレエやお祭りにきた観客気分にされるシーンがあった。だからこそ2幕での 『BADDY(バッディ)-悪党(ヤツ)は月からやって来る-』も、一番の感想は「アトラクション気分」であった。

 ここで言う「アトラクション」とはTDRのことである。正に世界観に飲み込まれた。しかもTDRは「ディズニー映画」という前提があり、そこに出ていたキャラクターの世界である。事前に知っている異世界に入るのである。リニューアルしたアトラクションに映画のキャラクターが増えていることも、そのゲタがアトラクション人気をどれだけ左右するかを物語っている。しかし、今作は全く知らない異世界の情報をいきなり出され、そこについてこさせている。「宝塚歌劇団の月組」という前提はあるが、現実的な話だった1幕から異世界に飛ばすのはかなり作り込んだ設定とポリシーのなせる技であった。

 そもそも「宝塚のショー」という前提の上で成り立っていた部分が多かったことに気づいた。ショーで全編通したストーリーがあるのはTDR等でも一般的である。確か柚希礼音退団後初出演だった『プリンス・オブ・ブロードウェイ』でも一つ一つのシーンは人生を振り返る、という解説と繋がりがあった。

 多くの現代人はライトが消えたら別の話、とはならない。なんの説明もなくさっき死んだ人が別の服着てニコニコ歌い出したり、男役が女になったり、そんなに切り替えてみるという感覚は宝塚を見るまで無かった。そこには「こういうものなんだ」というファンの配慮がある。そこに気を使わせないでくれるショーは居心地が良かった。さらに素晴らしいのは良い「宝塚らしさ」は捨てないことである。ロケットや大階段はやはり見たい。そこをストーリーに違和感なく取り込めるのは凄まじい。これが進化なのだと思う。

 本作で「ファンの配慮」が無くても良いショーは作れる、ということが実証された。そのうちファンも当たり前に配慮することは無くなるかもしれない。

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