火の取り扱いには注意

学歴の暴力といえば、という訳ではないが
口火を切るのに良いかとタイトルは炎関連に。
残念ながら(?)本文に可燃性は無い。


早速だが皆さんこの一文をご存知だろうか。

「もしも『俺の方が面白い』とのたまう人がいるのなら、一度で良いから舞台に上がってみてほしいと思った。
『やってみろ』なんて偉そうな気持ちなど微塵もない。世界の景色が一変することを体感してほしいのだ。」
お笑い芸人ピースの又吉直樹さんの著書
火花のクライマックスでの一文だ。正しくは三文、とかはいらない。
以前読んだ時に、このパートに筆圧の強さを感じた事は覚えている。主人公に語らせながら、自身の芸人としての自負や覚悟が漏れ出ている気がしたからだと思う。どちらかというと怒りや諦めに近いネガティブな感情なのだろうと確か当時は思っていた。

冒頭の文を最近ふと思い出した。
その心境を、ここ最近の出来事を振り返りながら整理してみる。

早いものでアイドルグループ学歴の暴力として
活動を始めて1ヶ月が経った。
私はこれまでの人生アイドルというものに、ほぼ無縁な生活を送っていた。
AKBも坂もK-POPも聴かない。唯一レベルで好きなでんぱ組.incも一時期通ってた程度で、なんならえいたそが抜けて以降曲もあまり知らない。
勿論アイドルに必須のダンスなどのスキルがある訳ではなく、小さい頃少し習っていたものの好きではなく度々わざと遅刻をしていた始末。
なのに何故、何のために、アイドル活動を始めたのだろう?
私自身まだこの答えは出ていないのだが、始めようと思ったきっかけは確かにある。
その最たるものは、やはり「学歴」だ。

私はそれはそれはお粗末な家庭に育った。
片親な上に戸籍状の親もほぼATM。
体感としてはほぼ祖母に育ててもらった。
今でこそ祖母には大変感謝をしているし、それに反比例して今までの行いをとても悔いている。
中学くらいまで片親というだけで嫌な思いをしてきた。消えてなくなりたいと鬱屈とした日々を送り、祖母に当たる事も少なくなかった。そんな環境が大嫌いだったし、幼心に良い学校に行かなきゃこの環境から抜け出せないと思っていた。幸い勉強は多少出来て、高校はそれなりの所に進学できた。更に幸いな事に高校の友達とは馬が合い日を追うごとに日常は楽しくなっていった。今まで家も学校も居心地良く思えていなかったが、やっと好きだと思える環境を見つけられた気がした。そしてあっという間に高校生活も3年目。受験期真っ只中の夏、なんと祖母が家を出て行ってしまった。きっかけはあったものの、自分の家庭での行いの積み重ねのせいだ。
ただ当時の自分には全く受け入れられず、毎日のご飯はどうなる?洗濯は?それより私の受験は…?そんな事で頭が真っ白になった。
急に兄と2人暮らしになり、なんとか自分達で生活を取り繕い勉強にも励み、無事本命の九州大学にも現役で合格が出来た。
大学進学をすると家庭に縛られずより自由に過ごせる事が本当に楽しかった。その中で出会えた人達も本当に良い人ばかりだ。受験を通して自分が少しは変われて肯定的になれたからなのか、単に進んだ先の環境に恵まれていただけなのかは分からないが、この受験が私の人生にとって大きなターニングポイントだった事は違いはない。
だからこそ未だに「学歴」は、そんな一連の感情を呼び起こすのかもしれない。

そして一時関係が拗れていたものの祖母とは今も連絡をとっており、なんなら前よりも素直に接することができている。
むしろ祖母は成人するまで養育できなかった事を悔いており、未だに会うたびにいつの間に小さくなった体をより小さくして私に詫びるのだ。
この私に、だ。
あの時は出て行ってごめんね、と。
自分ばかりが可哀想だと思っており本当に情けないこの私なんかに、だ。
そして老体にも関わらず2度目の育児を強いられながらも愛情と寛容さに溢れるばあちゃんはそんな自分とは正反対も良いところだ。ばあちゃん本当にごめん。本当にありがとう。これからも幸せに長生きして欲しい。
そんなばあちゃんが喜んでくれるのも、
「わぁ、九州大学さ合格したとね」といった学歴にまつわる事が多い。
恐らく昔の方にとっては分かりやすい成果なのだろう。何であれ喜んでくれるに越した事はない。私も、合格は貴女に立派に育ててもらった証明ですよ、と思っている。

…と、明らかに長くなっている。笑
しかもだいぶしけた話になっている、なんてこった。最近の話の整理どこいった。
あと学歴厨は分かったが、そこからのアイドルにつながる説明がまだまだ足りていない。けどさすがに入口の話はここまで、続きはまたの機会にでも。
やっと本題だが、この短い期間の活動の感想も最後に簡単に。

率直に、こんな自分にわざわざ会いにきてくれて、そしておかげで仕事が頑張れると言ってくれる人が居る…だと?!
え、中身ばあちゃん?ごめん、卒業証書今ないわ!あとディズニーランドは東京のスペースワールドじゃないよ!(まじでこの認識。だいぶ九州ナイズドで愛おしいわ。笑)

ただこの学歴がうちのばあちゃん以外にも活力を少しでも与えられているなら、それを活動の理由や目的にもしていいはずだ。

改めて冒頭のリフレイン
「一度で良いから舞台に上がってみてほしいと思った。『やってみろ』なんて偉そうな気持ちなど微塵もない。世界の景色が一変することを体感してほしいのだ。」

受験然り、ライブ然り
舞台に上がるたびに確かに世界は変わっていっている。
改めて火花のこの一文を読むと
舞台に立った者の心の灯火が、これから舞台に立つ者を照らして鼓舞をしている。そんなポジティブな一文なのかもしれないと思えてくる。少なくとも私に灯った小さな好奇心は今火花を散らしている。

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