切り絵教室
小学校1年生の頃、切り絵教室に通っていた。
今思えばおそらく区が提供してくれる類のもので、子供であれば誰でも気軽に参加できる教室だった。切り絵だけではなく他の教室もあり、事前に色々な教室を見学できた。ダンス教室も見学したが、同じような背格好の子供たちが、これまた同じ動きをしているのに圧倒されて「これではない」と瞬時に感じたのを覚えている。集団で揃わなくてはいけないダンスよりはマシだろうと、切り絵教室を選んだのだった。
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切り絵教室の先生はおじいさんだった。チラシで作ったゴミ入れが机の上にあった。教室には終始騒いでいる男の子が数名いた。先生はよくその子たちに向かって怒鳴っていた。つっけんどんで愛想がないので、正直怖かった。
だが道具箱に入っている「はさみ」ではなく、カッターナイフという少し大人びた刃物で黙々と紙を切る作業は単純に面白かった。真っ黒な紙を下書きに沿って切ると、花びらが現れる。黒から切り取られた白は自在にかたちを変える。楽しいとかつまらないとか、そういうことは考えずに、ひたすらカッターナイフを動かしていた。
先生と話したことはほとんどなかった。それでなくても大人と話すのには勇気がいる。
夕暮れの帰り道は色々なものを観察しながら帰った。赤いポストから始まる分かれ道や、アパートの外壁の模様など。下町の路地は細くて狭い。裏道がたくさんあり、どこに続くかわからない細道、そこから見える景色を私はとても気に入っていた。夕餉の香りやピアノを練習する音も、出所がはっきりとわからなくて面白く感じていた。
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ほどなくして引越すことになった。必然的に切り絵教室は辞めざるをえない。母に教室を辞めることを先生に言うようにことづけされた。私は大人と話すことがとても苦手な子どもで、しかもよく怒っているおじいさん先生に、こちらから話しかけなくてはいけないことへの負担を感じつつ、最後の切り絵教室に向かった。
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教室はいつも通りはしゃぐ男の子たちで騒がしく、私はいつも通り黙々とカッターナイフを動かした。帰り際、勇気を振り絞って先生に話しかけた。先生は先生で切り絵の制作をしていた。「引っ越すから次から行けない」と、端的に伝えた。先生は手を動かしつつ「そうか。寂しくなるな」とだけ言った。相変わらずつっけんどんな言い方だったが、怒っていない先生は珍しく、また「寂しくなる」という実感が未知の私はとりあえず任務を果たした安堵とともに、少し動揺した。その日の帰り道は、より入念に色々なものを観察した。団地に続く大きな門や、すっかり夏の顔をしている桜の木や、白いガードレールなどを目に焼き付けた。小学校に上がったばかりの私は、覚えるものがたくさんあるような気がしていた。仲良くなったTちゃんは、この間ぬいぐるみを落としたけれど、道を歩いていたら見つかったと話していた。でもそんなことあり得るのだろうか?ふわふわしているところもあれば、妙に現実的な考えをする子どもだった。そしてそれは今でも変わらない。
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大人になってからほんの束の間だったが、小学校で働いた。その時に溌剌とした3年生の男の子が「俺、引っ越すんだ」と声高にクラスメイトたちに伝えていた。少し自慢げだった。その子は私にも意気揚々に、転校することを伝えてくれた。私は咄嗟に「寂しくなっちゃうね」と伝えた。その子は少し驚いた顔をした。数日して、彼は私に引越しすることを再び伝えてくれた。そして最後に「寂しくなっちゃうよ」とおどけて笑った。
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引越し回数は多い方だが「寂しい」と思える間もない時もあった。正直、住んでいた土地を離れる時は「離れられる」という清々しさも感じる。でもやっぱり、離れてしまう時に、人から「寂しい」と言われることは嬉しさと寂しさがある。春になると色々なことを思い出すけれど、目の前の景色をぜんぶ覚えておこうとする癖は直らない。でももう忘れてもいいのだ。そのあんばいがいつも難しい。好きなのか嫌いなのかそんなこともよくわからずに、ただ何となく苦手なものは極力選択せずに、ふらふらと寄り道しながら帰る場所を探している。結局私は6歳のあの頃から何も変わっていない。
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