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メリークリスマス

子どもの頃からクリスマスが大好きで、12月が近づくとワクワクする気持ちはあまり変わっていない。私はサンタクロースの存在をかなり良い年齢まで信じていたし、実は今でも遠くて寒い国のどこかにいるんじゃないかと心の片隅で思っている。
3、4歳頃の時分だったと思うが、24日のイブの夜にふと目が覚めた。真っ暗だが静まり返った冬の夜は空気が澄んでいる。その時「シャンシャンシャン」と、鈴の音が聴こえた。とても綺麗な音だった。当時は当たり前にサンタを信じていたので「サンタさんだろうな」と思ってそのまま眠った。そういう不思議なことがあっても、そのまま自然に受け止めていた。寝ぼけていた可能性も十分にあるが、しかし、高くて綺麗な鈴の音は今でもはっきりと記憶している。透き通るような音だった。
その後、どうやらサンタは実在しないということがわかってきた。むしろ、そのような幻を小学生で信じているのは「幼い」「幼稚な」部類に入る。ある日、ぼんやり見ていたテレビ番組で小さな男の子が「空にサンタさんがいたんだよ」と言ってスタジオの笑いを誘っていた。が、私は確信した。やはり、サンタはいるのだ。有益な情報を得たその年のクリスマスイブの日に、ベランダに出て夜空を見上げた。サンタさんが出てくるとしたら今夜しかないだろう。お願いだ、あの少年の前に姿を現したように、私にもその姿を見せて欲しい。そう願いながら、星が綺麗に見えることも特にない郊外の夜空をしばらく凝視していた。すると、不思議なキラキラした光がゆっくりと上下に動き、消えた。ほんの数秒の出来事だったが、嬉しくて興奮した。やっぱりサンタさんはいるのだ。その何年後かに、枕元に置いてあったプレゼントのレシートを見つけたので、サンタはいないという事実は既に違う意味ですんなりと受け入れた。しかし私は、プレゼントをくれる存在としてではなく、ひっそりと「良いもの」を与えてくれる存在として、サンタクロースの存在をやはり今でも密かに信じている。鈴の音も綺麗だったが、きらめく小さな光も金色でとても美しかった。もしかしたら私が体験した出来事は、すべて、膨らみ過ぎる想像力が生み出した妄想なのかもしれない。でも、本気で信じれば何らかの形で合図を送ってもらえた記憶は、その後の人生で、ものすごく大きな支えになった。
大人になるとクリスマスは商業的な絡みや、パートナーや家族がいないと「寂しいイベント」にカテゴライズされる風潮に辟易した時期もあった。でもその風潮に乗じずにクリスマスを鬱陶しいイベントと判断しなかったのは、クリスマスイブの夜は空が青白くなり空気がとびきり澄むこと、そして「小さな特別なこと」が起こりやすいと信じていたからかもしれない。
キリスト教徒ではないが、綺麗な色鉛筆画の「聖書物語」は繰り返し読んだ。聖書の話は残酷なことも起こるけど、不思議な話ばかりで面白い。キリストが生まれる日に現れた星。東方の三賢者がその輝く星を目指して進んだ、というそのくだりがもう素敵だ。暗闇の中で明るいものを目指すのは人間の本能。この年末の時期になると無性にワクワクする。緑色と赤色が主張し始めるイルミネーション。通勤する人々の雰囲気もどことなく和らいでいる気がする。そしてクリスマスが終わるとすぐに正月が来る。


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