見出し画像

【日記】事故死を減らす没入感?

『深夜に勢いで書く』

Twitter何かでこういう言葉の後に続くのは、鈍い刃の承認欲求か怠惰を誤魔化す空砲だろう。

今日の私は後者寄りか。まあ、先程までホットカーペットの上で寝落ちしてしまい、お風呂上がりの今見事に眠れなくなってしまった時間を持て余しているのだけれど。途中で進まなくなってしまったブログや曲を触る気分にはなれない。折角だから、いつもやらない前者寄りの日記を書いてみよう。

思い返すと、サラリーマン時代に沢山あった"泥のように寝る“ということがいつの間にか無くなった。土曜日の朝、朝食を取り、身支度して、さぁ出かけるぞ!というところまでの記憶はあるのに、目が覚めたら4〜5時間後の床だった事が多々あった。あれ、よく考えたらソコソコ壊れていたのかもしれないな。

『サラリーマンを辞めて良かったのか?』『普通の生活をして、綺麗な老後を迎えるルートのEDを逃してよかったのか?』『今ならまだ戻れるぞ』という問いは、今日までも何回も反芻しているのだが、今でも「いや、辞めて良かったわ」という答えを全く否定出来ない。

何と言うか、サラリーマン時代は、栄光ある老死のその前に死ぬ確率が高かった気がする。自分で自殺する気は全く無いのだが、何故だか明日"事故死"する気がしてならなかった。今はその事故死の確率が格段に減った感覚がある。

とは言え、老衰を諦めた訳では無い。今のままだと年老いてからめっちゃくちゃ苦労するのは目に見えているので、何とかせねばとは思っている。派遣ですこーしずつ貯金はしているものの、圧倒的に足りない。故にやはり、何かしら+αの収入を得る手段が欲しいとは思っている。

長くなってきたな。

結論を言うと、曲を作るか物を書く仕事か、どちらかに携わりたいという想いはかなり高くある。思い切って仕事を辞めて、「周りから見たいい子でいるべき」という柵から一旦抜けた目を持てるようになって、漸く自分の好きな事やりたい事得意な事がきちんと見れた気がする。

だけれど、それらの想いと反して、『お金儲けするぞ!』『有名になるぞ』みたいな感覚がどうしても合わない。

何と言うか、決して「自分の好きな事をお金儲けに使いたくない」とか戯言を言うわけではない。そんな浅い理想主義ではなく、「お金だ人気だ」を指標に作る、書く、吐くものは安くてお腹と経験値が貯まらない感覚がある。目に見える数字は大事なのは分かっているが、目に見える数字を視界から外す努力を絶対にしなければいけない。そうしないとまた"事故死"する確率が高まる気がしている。

こうやって文字に起こすと本当に訳わからない話かもしれない。うーん。まあ、何と言うか、作ってる時に「1円にもならないのに何でこんな苦しみながら曲作ってんだ/ブログ書いてんだ/ネタ出してんだ/勉強してんだ」という苦痛、あれが楽しい。そしてあれを失いたくない。側から見たら全く割に合わない努力を、誰かの悪意なく自分のためだけに何故かやってしまう空間。そのための出費を抵抗なく出せる感じ。アレが"事故死"と対局の位置にある感覚だなぁ。

よく分からない?私も。深夜の日記だし、許してよ!

流石にそろそろ寝よう。

まだ生きているから、生きているうちにあなた達の作品ももっと見せてね〜。

それではおやすみ。おはよう。

回ればいいのよ元々空気