見出し画像

『夏の思い出』つげ義春著を読むことで得られる透明な高揚感について

 つげ義春氏という名前は、かなり前から知っていたが、実際に手にしたのは去年の夏が初めてであった。

 私小説風の作品が多数収録されている。私の好みの作品もその系統だったので、お気に入りの一冊になっている。

 読んだ感想としては、人間のおかしさや浅はかさ、そこはかとない生暖かい欲望が渦巻いている作品だと思った。

 中でも『夢の散歩』がお気に入りだ。

 夢の散歩はその題名の通り、まさに夢の中で起きたような少し飛んだ内容を含んで居る。
ただ、夢の中のようだというのは、単純に空を飛んで居るだとかそういう風なものではなく、現実にありそうでない、そういうリアルな夢の中である。

 この作品の簡単なネタバレをしておくと、

ある母子と主人公が横断禁止で通れない道を渡るために、一度引き返し、橋の下の道を通ろうとするが、母子は泥に足を取られてしまい、母は日傘を落とし、地面に四つん這いになる。
その時、下着がヌルヌルとずり下がってしまう。
主人公は母親にそっと近づき、後ろから犯し、母は何も分からない子どもが泥と遊んでいる横で喘ぎ声を上げる。

 官能である。

 私がこの作品で面白いなと感じたところは、余白である。
絵の余白がこの作品は特に多く設けられているような気がしている。また、その余白により、夢の中のような不確定さ、想像の余地のようなものがあり、それがより官能的な想像が引き立てられる。

 何はともあれ、なんとも言えぬ感じがあって、非常にリビドーがかき立てられる、官能的であるが、その官能さがしつこくない。さっぱりとした唐揚げである。
なんだか、男の妄想という感じも感じた。

 ほかにも『大場電鉄鍍金工業所』など様々良い物語があり、それぞれに思うところがあるのだが、それはまた今度。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?