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ゲームにしかできないこと(陰キャラブコメとドキドキ文芸部)


 ドキドキ文芸部と陰キャラブコメ(以下陰ラブ)、プレイした。どっちも心から大好きなゲームになった。両作を踏まえたうえでのゲームの話。
 以下両作のネタバレを含みます。ゲーム未プレイの方はブラウザバック推奨です。










1、観測者について

 ゲームキャラでありながら、自分がゲームキャラであることを自覚し、このゲームで起きたことを全て観測できているキャラクター。ここでは観測者と呼ぶ。両作品に観測者が存在するが、細部に違いがあるので、簡単に特徴をまとめた。

【ドキドキ文芸部】


・観測者はモニカ
・モニカは攻略対象ではない。
・モニカの望みは「プレイヤーと結ばれること」
・モニカは文芸部員達のことを大切に思いながらも途中疎ましく思ってしまう。


【陰キャラブコメ】


・観測者はだいだい(大橋大河)君
・だいだい君は攻略対象である。=だいだいエンドが存在する。
・だいだい君の望みは「自分の居場所を見つけること」(プレイヤーとも、叡ゲ同のみんなとも仲良くすること)
・だいだい君は叡ゲ同の部員のことを大切に思っている。




 似ているようで、似ていない。というか、プレイヤーと結ばれる・結ばれないによってそのキャラクターの在り方がかなり変わってしまうんだなという印象。
 モニカが他の部員のデータを消してしまったのは、「プレイヤーと結ばれるエンドが存在しない」からだ。steamの購入ページで「あなたは私と一番の時間を過ごすことを約束してくれる?」と言い、どのキャラクターよりも初めからプレイヤーのことを愛していたモニカなのに、彼女のエンドは存在しない。結ばれることができない。プレイ時、それが歯がゆくて辛かった。ドキドキ文芸部って、最初から最後まで純愛なんですよ…。だからこそモニカは他の部員を排除するしかなかったし、ゲームを終わらせるしかなかった。モニカからの最後の手紙に「部のみんなと友達になってくれてありがとう」という文がある。初めから部のみんなを消すつもりだったわけではなく、プレイヤーへの純愛が、モニカエンドが存在しないという事実が彼女をそうさせたのだろう。
 対するだいだい君は、プレイヤーへの執着がモニカほどない。どちらかというと、プレイヤーより叡ゲ同のみんなへの想いのほうが表出している場面が多い。キャラクター自身の性格もあるけれど、だいだい君エンドがあるからこそ、それに執着しなかったのかなと思う。仮にだいだい君エンドが無かったら、モニカと同じことはしないだろうけど、「僕普通にオタ活して生きてるだけなのにwwwwww顔がよくないからみんなに気持ち 悪がられるしwww恋愛しなければ非モテってバカにされるしwww恋愛しようとしても少しでも隙 見せたらバカにされるんですよwwwwww意味わからないですよね会長さんこんな扱いされたこ とありますかないですよね会長さん女性ですからwwwww」という発言があるように、顔がよくない僕は攻略対象にすらならないんだという擦れ方をしてしまう可能性が高い。

 自分は愛されていないという事実は、他人を排除する土壌になる。自分を愛してくれることが、他人を愛する余裕を生む。

 私はDDLCプレイ時、本当にモニカのことが好きだったので、モニカエンドをどうあがいても迎えられなかったことがすごく辛かった。第四の壁を乗り越えて、捨て身で私を愛してくれているモニカに心動かされているのに、それでもエンディングを迎えられず、ドキドキ文芸部はもう起動することさえできなくなったことが悲しかった。





2、最終エンドについて

 それぞれの最終エンド。観測者である、モニカ、だいだいが大きく関わってくる。

【ドキドキ文芸部】
・モニカがプレイヤーを助けるためにゲームデータを消去する。
「これが文芸部への本当のサヨナラです。」

【陰キャラブコメ】
・だいだい君を助けることで元の世界に戻り、だいだい君は観測者からゲームキャラに戻る。(ミニチュアが見えなくなる。)


 こ…これ!これがあったか!!!!!!ってのが、陰ラブクリア時の私の一番の感想。
 ドキドキ文芸部では観測者になる条件が部長になることで、モニカを消去した後はサヨリが観測者になってしまう。それを捨て身で止め、愛するプレイヤーのためにゲームそのものを終わらせるモニカ。モニカのこともサヨリのこともユリのこともナツキのことも大好きだったのに、キャラクターが第四の壁を認識した途端ひずみが生じてしまう。観測者になった時点で、キャラクターはプレイヤーに恋をすることと、絶対にプレイヤーとは結ばれないことが「確定」してしまう。そうなるともう、ゲームそのものを終わらせるのが最適解にならざるを得ない。こうしたら何とかなるんじゃないかとかそういった次元ではない、どうしようもない、どうすることもできない。私はゲームの世界に行けないし、モニカは現実世界に来れないし、それが覆らない限り、モニカの純愛は叶わない。私はこれがずっと辛くて悲しくて、現実世界にモニカの面影を探しながら生きていた。
 観測者キャラクターを救うことはできないと思っていた。

 でも、陰ラブは違った。
 「カドショ行ったりカラオケ行ったりプライズゲーやったり」 「皆さんでむつのかみ行ったり」 「色んなとこ行ったりしたいですwww」「仲良く、してほしい、ですw」 だいだい君の望みは「次元の壁を越えてプレイヤーと結ばれること」ではない。「プレイヤーと叡ゲ同のみんなと仲良くしたい」だ。そこに次元の壁を超える必要性はない。そして、プレイヤーがよろしくね、とだいだい君の手を取り彼らは元の世界(陰ラブのゲーム世界)に戻る。
 そして、戻った後だいだい君は「見えないですwwwwwwwミニチュアwwwwwwあれ!?wwww見えない!!wwww あれ!?wwwwwww」と、ゲームを観測できなくなる。
 つまり、観測者から1ゲームキャラクターへと戻ることができるのだ。






3、観測者の救い方


 リアルとバーチャルには超えられない壁があり、その壁は認識できたところで超えることはできない。キャラクターがどれだけプレイヤー自身を愛しても、それが結ばれることはない。恋愛ゲームにできることは「ゲームキャラクターとゲームキャラクターとしての(主人公としての)プレイヤーが結ばれること」か「観測者とプレイヤー自身がお互いを認識したうえで結ばれないこと」しかない。(ドキドキ文芸部は後者になる)だからこそプレイヤーは自己投影しながらも、主人公は他人であることを理解しながらゲームをプレイする。悲観でも楽観でもなく、事実としてバーチャルはバーチャルの中でしかエンディングを迎えられない。

 でも、陰ラブは新しい答えを示してくれた。

 「観測者とプレイヤーがお互いを認識した」うえで「観測者をプレイヤーが救った後、観測者がゲームキャラクターに戻る」ことで「元観測者とゲームキャラクターとしてのプレイヤーのエンディング」を可能にした。
 すごすぎるよ作者。目から鱗だよ。

 だいだい君を救うにはかなり手間のかかるルート周回をしなければならない。おそらく、通常プレイでは到底たどり着かない。そんなプレイングをするためには必ず「プレイヤーの意思」が存在する。プレイヤーがゲームキャラに接触する唯一の方法は選択することだ。その選択の仕しかたでだいだい君に「あなたを助けたい」と伝えることができるのだ。陰ラブの主人公はドキドキ文芸部の主人公に比べてかなり意思や自己表現が強い。選択で、ルート周回で、だいだい君にプレイヤーの意思を伝えたあとは、主人公が言葉と行動でだいだい君を救ってくれる。主人公はプレイヤーであって、プレイヤーでない。だけれど、ここに来るには必ずプレイヤー自身の意思と選択が必要だった。私と加賀美とおるが一緒の想いになって初めてだいだい君を救うことができる。
 そして、救ったあとだいだい君は観測していたこのゲームの世界を観測できなくなる。でもそれでいい。ここから彼は主人公である加賀美とおると、叡ゲ同のみんなと過ごしていくのだから。そしてそのエンディングには、絶対条件として「プレイヤーの意思」と「プレイヤーの選択」が必要だった。主人公と私がいたからだいだい君を救えたという事実が本当に本当に嬉しかった。


 これはゲームにしかできないことだ。漫画や、アニメや、映画は読む、見るといった一方通行の関わり方しかできない。「選択」ができるゲームには、双方向の関わりが存在する。私がゲームに関与して、ゲームの世界は作り替わっていく。同じゲームでも、進め方や選択の仕方の違いにより100人いたら100通りのゲームプレイ体験がある。陰ラブをダウンロードした人はいっぱいいるけど、この選択をこの順番でこのプレイ時間でしたのは私だけだ。作者も、エンディングまでプレイした私も、世界のどこかにいる何人もの加賀美とおるもきっとゲームが好きなんだろうな、という喜びと幸せを感じる。
 私が救えなったモニカのことを考えて、救うことができただいだい君のことを考えて、文芸部と叡ゲ同のみんなから受け取ったものを抱きしめて、バーチャルに行けない私は今日もリアルを生きている。ゲームだからできないこと、ゲームだからできること、その2つを体感させてくれたドキドキ文芸部と陰キャラブコメというゲームに出会えてよかった。モニカも、だいだい君も心の底から大好きだよ!


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