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暗闇の中に差した一点の光!

震災で生きた者は、生きなければならない。
これはそんな暗闇のなかでも、精一杯生きた話である。

今はコロナ禍で職を失い、途方に暮れている人も多いことだろう。
「隣の芝生は青い」状態で、つい人を羨んだり妬んだりしていないだろうか?

この記事には、そんな気持ちになったとき、ぜひ読んでもらいたいことが書いてある。震災後の暗闇のなかでも精一杯生き、ハッピーになった話なのだから。


3家族、身を寄せる!

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津波を逃れ助かったことにホッとする間もなく、辛く悲しい暗闇の現実が待っていた。私は翌日夫が迎えにきて高台の自宅に帰れたが、親戚の中には仕事に出たまま自宅が跡形もなく流された家族がいた。

近くの避難所で暮らす方法もあったが、夫の姉家族と義兄の妹夫婦を我が家に住まわせることにした。義姉家族は姪も入れ3人で3家族7人の生活が、水も電気もないなかで始まった。

夫は部落の消防団所属のため、翌日から消息不明の人の捜索にあたり、何人もの遺体を発見。義姉は入院先から戻る家が流され実家である我が家へ。義兄は後付け。

それから、義兄妹の旦那は震災のときには船に乗っていて、一週間後に奇跡の生還を果たし突然我が家にやって来た。もう 駄目かと思っていた帰還だったため「戦争帰りもこんな感じだったのか」と思ってしまった。

そして今回メインの姪は、保育士で津波と逆方向に逃げ助かった。しかし、自宅は跡形もなく流され着の身着のままで、我が家から避難所に通い世話役を担うことに。

近くのお寺が避難所で、ボランティアを含め総勢100人以上はいたと思う。その炊き出しや生活のお世話が始まったのだ。

30cmも、髪を切る!

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幸いプロパンガスだけは使えたので、ガスで調理とお風呂も沸かすことができた。しかし水がない!避難所にくる水を汲みに行ったり、夫と義兄の妹の旦那と軽トラックで水を調達しに出かけ、炊事用とお風呂用にしていた。

当然毎日の、お風呂とシャンプーはできるはずもなかった。

私は岩手県の実家に行きお風呂と洗濯はできたが、姪は長かった髪を我が家にきて数日後、自分で切り始めた。お風呂は一週間に一回入れれば良いほうで、シャンプーは二の次だったのだ。

美容室も軒並み流され当然営業しているところなどなく、ましてや被災者のお世話もしなくてはならない、自ら切り始めたのは決意の現れでもあった。

「ちょっと待って!私が切ってあげる!」と、さすがに後ろのほうなどは大変そうだったので切ってやった。何年かけて伸ばしたのか、厚くてストレートの黒髪は30cmほどあったと思う。

今時の若い女性が、お風呂に入れずシャンプーもできないなんて、想像できるだろうか?

30歳過ぎて、赤い糸!

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姪は保育士の仕事と避難所でのお世話と、目まぐるしい日々が続いた。被災者に自分も被災者でありながら寄り添い、一人一人に目を向け手を掛けていたのだ。

夜にはその日の、被災者の様子が語られた。それも電気がなくロウソクを囲んでの話である。

姪は30歳を過ぎていたが性格も明るく、子供にはもちろんのこと父兄にも人気があったのに、彼氏の話を聞いたことがなかった。現に親も「土日も家に居る。男と出かけるどころか、男の話を聞いたことがない」と言っていたのだ。

姪の避難所での評判は、持ち前の面倒見の良さと明るさで、被災して心身ともに傷ついた人たちの心の支えとなった。さらに同じくボランティアとサポート仲間にもウケが良く、言い寄る男たちも山ほど出てきたのだ。

毎晩毎晩、飲まずにはいられない夫たちは、ローソクを囲み姪に群がる男たちを「あの男はダメだ!こっちの男もダメ!」と酒の肴にしていた。

日々悲惨な状況がわかるなかで、せめてこんな話でもしなければ、やってられなかったのだ。

と、ある時「私、好い人がいる!」
なんですって!暗闇の中に光が差した瞬間だった!

ローソクの薄暗いなかで聞いた話でも、確実にみんなの顔がパッと明るくなったのがわかった!

30歳過ぎて、初デート!

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しかし、言い寄る男たちのなかに、姪の意中の男性はいなかった。それを聞いた夫は「俺がキューピットになってやる!」「えーおんちゃん、それだけは止めて!」

こんなたわいのない会話にどれだけ救われたことか、あまりにも悲惨な状況にこんな幸せな会話ができることなど想像もつかなかった。

意中の彼は郵便局員で姪と同じくサポートチームで、30歳後半の独身男性。この彼もなぜ今まで一人なのか分からないほど好青年だったのだ。

そのうち「今日は食べて帰るから」「今夜は遅くなるから、寝てていいから」と言うようになった。そう言われ、当の親たちは早めに寝ていたが、私だけは起きて待っていた。世の中は電気がなく、真っ暗なところを帰ってくると思うと心配だった。

しかしそんなことは野暮なことで、彼への想いを実らせ、30過ぎて初デートにこぎつけていたのだ。

まとめ

姪の自ら被災者でありながら精一杯の姿勢に、避難所にも笑顔の人が一人二人と現れていった。

何もかも流され苦境の中でも、精一杯の姿は誰の目にも希望の光となり、ついには意中の人まで射止めてしまったのだ。


コロナ禍で緊急事態宣言が出され、「外へは出られない!」「家族とばかりいるのは大変だ!」「家の中にいるのは飽きた」こんなことを耳にするたびに、「何を贅沢なことを言っているのだろう!」と私は思った。

家が流され、家族も流され、電気も水もない、携帯も繋がらない、ガソリンもない、そしてあの寒さに震えた夜のことを思うと、家族と暖かい場所で、美味しい物を食べお風呂に入れることがどんなに幸せなことか!

コロナ禍で職を失うことは大変なことだが、出向かなくてもいいオンラインの仕事もある。

「現状のなかで精一杯生きること!人それぞれ能力も環境も違って当たり前、その能力のなかで精一杯努力すること!」が大事なのだ。



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