東日本大震災|生死を分けた女性の判断!4つの正しい逃げ方とは?
私は東日本大震災を語り継ぐために、Webライターになった。
たまたま助かった。私は津波に流され亡くなっていてもおかしくない場所に住んでいる。ここは宮城県気仙沼。あの震災の夜、火の海に包まれた気仙沼である。
生かされた者として書かなければならない、あの震災から学んだことを。
特に女性がとっさの判断ミスで亡くなったケースが多いため、今回は当時の私と同じ車通勤女性に絞り、正しい逃げ方4つを伝える。
これは命に関わること、とっさの判断に自信のない女性は必見!
私が経験した津波の概要
忘れもしない、2011.3.11 PM 2:46
当時は、小さな装飾店を姉と営んでいた。
今まで感じたことのない大きく長い揺れに、バタバタと商品が棚から落ちてきた。
すぐに埼玉に住んでいた長男から電話があった。「大丈夫!商品が落ちてきただけ」と話す。
ほどなくして「6m の津波が来る」との防災無線に、商店街の周りの人たちはシャッターを下ろし帰り始めていた。しかし「まさかここまでは、こないよね」と2人で落ちた商品を片付けていたのだ。
と、そのとき外に目をやると、黒い水がこっちへ向かってくるのが見えた!
とっさに外へ出るが、もう水の勢いが凄く向かい側へ渡れる状態ではなく、次にシャッターを下ろそうとするが下ろせない!店の中にいる姉に「渡れない!外階段で2階へ!」すぐさま外階段に向かうときには、もう体半分は水に浸かっていた。
店の中にいる姉は裏口から出て来ると思いきや、地震で開かなくなった裏口のドアを叩き「開けて!開けて!」と叫んでいた。もう無我夢中でどのように開けたのか覚えていない。外階段の黒い水の中を2人で2階のベランダにたどり着くと、女性の悲鳴と共にバリバリと大きな音を立て車や瓦礫が目の前に押し寄せてきた!
海水で濡れた体が冷え、追い打ちをかけるように雪が。今度は寒さとの戦いが待っていた。近くのマンションの人が毛布を投げてくれたが、3月私は黄色のプリーツスカートにカットソーと軽いジャケット、一足早く春の装いをしていたのだ。
もうあまりの寒さにガタガタ震え感覚が麻痺し遠のく意識の中、姉が「寝ちゃだめ!寝ちゃだめ!死んでしまう!」と叫び続けてくれた。1人だったら津波から逃げられても寒さで死んでいただろう。
あんなに寒く長い夜の暗闇の中、遠くに明るさが見えた。それが火の海となった気仙沼湾だった。この映像を見た当時横浜に住む次男は「もう気仙沼は焼き尽くされ、お母さんは火の中にいるんじゃないか!」と。
「お母さん!お母さん!」と叫ぶメールに、当時ガラケーの携帯は充電が無くなり返信できなかった。
1、海と直角に、逃げろ!
経緯を振り返ると、そもそも
判断ミス1:「まさかここまでは、こないよね!」
安易な発想だった。沿岸から離れていても、近くに川がありその川を津波が逆流してくるなど想像がつかなかったのだ。
ただならぬ気配を察し、地震直後に車に飛び乗り帰宅したのは夫だった。自宅は高台にあり、車で海沿いを走り夫の職場から20分ぐらい、私の職場からは30分ぐらいの所にあった。
気仙沼の住民のほとんどがマイカーを持ち、ほとんどが車通勤をしていた。
後から「なぜ私に電話をくれなかった!1人で逃げて」と言ったが、1人ですぐに道路が混む前に帰ってもらって正解だった。私に電話をしてから車に乗っていたら逃げ切る時間がなかっただろう。
なぜなら、夫が通り過ぎた直後に津波が押し寄せてきたのだ。私も夫から電話をもらい、すぐに帰っていたとしたら途中で津波に遭い、結局2人とも流されていただろう。
海沿いといっても、道路と海の間には列車が走り線路があった。普段は時折走る列車と海を眺め、お気に入りのBGMで車を走らせ通勤。のどかで風光明媚な外観は、ちょっとした癒しの空間でもあった。
それで「津波がくる!」と放送があっても、まさか線路を飛び越え道路からさらに家屋まで押し寄せてくるとは、誰が想像しただろう。
津波到達時間は約30分とされているが、私は20分ぐらいだったと思っている。いくら早く自宅に帰ろうとしても、どこかで流されていたことになる。現に同じ方向に帰った友達は中間地点で流され亡くなっている。
要するに、津波と平行して逃げてはいけない!ということだ。いくら地震直後に素早く逃げたとしても海に並行して走ってしまったら、津波の中に飛び込むようなものなのだ。
自宅が同じ方向のほとんどの通勤女性は、この道路を通って自宅に帰ろうとしたのだ。幸い気仙沼は山もあり、海から離れた山のふもとを通る方法がある。海から直角に山に向かい遠回りになってしまうため、ほとんどの人は早く自宅に帰りたく、海沿いを走ったのだ。
判断ミス2:身の危険より、家族のことを思った!
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友達は病弱な母親を思い、他の女性は子どものことや家族のことを思い、とにかく早く帰ろうとこの海沿いを走ったのだ。とっさのときの女性は、このように身の危険を顧みず家族のことを思い、無謀な行動を取ってしまいがちなのだ。
急がば回れとよくいったもので、まさにこの山のふもとを通って帰れば助かった人も多かっただろう。
2、上司に逆らっても、逃げろ!
真面目で素直な女性は上司に逆らえず、上司のいうことは絶対で従ってしまうという傾向にある。今時めずらしい話だが、現に上司に逆らい逃げた1人の女性の証言がある。
その女性曰く上司はこう叫んだという「こらから機材を運ぶ!逃げた者は首にする!」と。海沿いの会社の話である。
判断OK1:上司に逆らった!
他の女性は渋々残ったという。その逃げた女性は「首になってもいいから、逃げよう!」と1人だけ上司に逆らい逃げた。そして会社もろとも、上司と残った女性たち全員流され亡くなったのだ。
判断OK2:上司のいうことは絶対ではない!
またある会社の年配の上司は「今まで津波がここまできたためしがない、逃げなくても大丈夫!それより地震の後片付けをするように」といい、逃げる指示どころかまだまだ続く余震のなか、後片付けをさせたという。
1人の女性だけが「こんな揺れ動くところには居られない!」と、逃げて助かっている。あとは片付け最中に津波が押し寄せ、全員亡くなったという。
要するに、上司だから年配者だから、正しいとは限らない!逆らってでも自分の判断で逃げるべきなのだ。たとへ裏切者と言われても、命より大切なものがあるはずがないのだから。
3、車を捨てて、逃げろ!
同じく皆が一斉に車で逃げると、やはり当然ながら道路は混んでしまう。たとへ山のほうに向かったとしても、ちょっとの時間差で混みあい身動きできなくなって流されたケースもたくさんあった。
現に私の店の前に置いていた我々の車もいとも簡単に流され、500m先のドコモショップまで流され、私の車の上には2台の車が覆いかぶさっていた。私が乗っていたらそのまま下敷きになって死んでいたことになる。店の前には流されてきた乗用車が電柱に沿って直角に立っていた。
判断ミス3:「車のほうが安全! 」
どの道路も 混みあうなか、男性は器用な運転で枝道にそれたり、しまいには車を捨てたりして逃げて助かった人が多かった。しかし、女性は寒いため窓を閉めたまま車の中にいて、流された人が多かったのだ。
私も車に乗っていたら、車を捨てて逃げることなど考えられなかったと思う。「車のほうが安全!買ったばかりのお気に入りの車を捨てるなんてできない」と思い車に残り、ましてや車の窓を開けるなどの機転が利くはずもなく、そのまま流されてしまったに違いない。
判断ミス4:車の窓を開けようとしない
車を捨てて逃げた男性の証言がある。「道路が混みこれは無理だと思い、即座に車を降り近くの土手を這いあがった。そして車の中にいる女性に『早く車を降りろ!』と何度叫んでも、窓も閉め切ったまま聞こえなかったのか、そのままハンドルを握ったまま流され見えなくなってしまった」と。
また車のドアも窓も開かず降りられず、最後まで夫と携帯のやり取りをして亡くなった新婚カップルの女性もいた。
要するに、車に乗ったら窓を開けながら走る!混んだ瞬間がきたら、即座に車から降りて高い場所に逃げる!なのだ。
4、逃げたら、絶対に戻るな!
最後に、これも付け加えておきたい。
判断ミス5:家に戻り「通帳だけでも!」
職場が家の近くで自宅が海沿いにあった女性の話だが、当然海沿いということで、地震と共に素早く行動し素早く避難。近くの高台に続々避難してきた人が集まった。
と、その時、迫りくる渦を目の前に「通帳を持ってくる!」と、自宅に戻った女性がいた。普段から行動力があり見識も高い女性だったというが「自分は大丈夫!」と思ったのか。。。帰っては来なかった。未だに遺体も見つかっていない。
通帳というものは、たいていは奥の部屋の引出しだったり、金庫だったりするだろう。その中から通帳と印鑑、さらに寒いからとコートを持ち出したり。。。これだけでも数分はかかってしまう。
また、孫を車に乗せ戻った女性も、帰っては来なかったという。一旦避難をしておきながら、なぜ?これだけバカげた話はない!他にも戻ったのは女性がほとんどで、帰って来れた話は聞いていない。
要するに、戻って帰って来れる可能性はほぼゼロで、戻る行為は津波の中にわざわざ飛び込むようなものなのだ。
まとめ
次にくるといわれている「南海トラフ地震」。
そのときのためにも、車通勤女性が生死を分けた次のこと。
このことを踏まえ、とっさの判断をミスしがちな車通勤女性は、
正しい逃げ方として
1、海と直角に、逃げろ!
2、上司に逆らっても、逃げろ!
3、車を捨てて、逃げろ!
4、絶対に、戻るな!
この4つを肝に銘じてほしい。
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