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朝起きたら後藤さんが死んでてめっちゃ落ち込んだ。
でもいわゆる、なんだ、偽善者っぽい人とか、息を吐くように上辺でだけイイ事言う人とかすっごい嫌いなんで、あんまりこういう話したくないけども

でもネットとか見てたら、「他者とコミュニケーションする気が起こらないくらいの自分の落ち込み様は普通じゃないんだな」と思ったので、なんやかんや頑張って手つけたりして、それから昨日のライブビデオ見て自分のヘタさに悶絶してたらだいぶ気が休まってきたwww

ボーカルがまったく聞こえない前提の練習を根詰めないと…(´・ω・`)<ガンガル!!

ソロの人だと、かなりベテランの人でもライブハウスだと「声聞こえないので返しあげてください」ってリハ中に言ってる人が大多数なのだけど(ステージの外には聞こえてるんだけど、ステージの内側では自分の音はあまり聞こえないのだ)

バンド形態だと、その9999999999倍はボーカルは聞こえない状態で歌うので、勘だけで、自分を信じて歌わなきゃいけないので、ちゃんと自分を信じてあげないといかんわいな(´;ω;`)

いわゆるマジバンドじゃなくて、アイドルさんとか声優さんとか「ボーカルの存在ありきのバンド」だと楽器の音量をめっちゃ下げてもらったりするんだけど、それじゃ自分は聞きやすくても楽器の人は自分の楽器が聞こえてないだけで、自分のほかの誰かがもっともっと我慢しなきゃって話なので
楽器下げさせたら今度ギターベースとか自分の音聞くためにアンプのド前で突っ立ってるだけになるから、それは個人的には「もはや居ても居なくてもいいんじゃないの」と思うわけで

要するにぼくが頑張ります、サーセン…

でもビデオとか見てると「なかなか皆カッコイイんじゃないかなぁ」と毎回思ったりします。うまく言えないけど、「失敗が怖くて普通はやらないで済ませたいこと」に積極的に取り組んでる瞬間とか見ると「やるなぁ」って思う。
楽器とかオーバーな動きしようとした瞬間に間違えてたりしてるけど、そこが「イイネ!」って思う。

うーん、3人居て良かったなと思います。

3人居て、誰かだけにいい事があっても、誰かだけに得があっても、みんな嬉しいみたいだからです。

3人居て、誰かだけ困ってても、内心「ざまあみろ」なんて誰も思ってないからです。

当たり前だと思っているけれど、もしかしたらそれはありえないくらい奇跡なのかもしれないなと最近よく思ったりします。

3人居て、みんなぼくと同じ目を持っているのは、正直可哀想だなとも思います。深いところまで見抜く目を持っていないほうが、幸せなことも多々あるだろうと思います。

いつも駆けつけて下さるお客さんも、本当にありがたいです。
ぼくはいつも、「この人も深い目を持っていて、おおよそウソや誤魔化しは通用しない人だろうなぁ」って思いながらお客さんを見て歌ってるんですけど

お客さんが本気だから、こちらも本気でやろうと思うし

照れくさくて普段バカやってるんだなと見抜いてくれるし
(物販の時に一部のお客さんに『浣腸体操』を披露したことを今更悔やんでいます)

小手先の誤魔化しで転んでくれるお客さんが居たら、もしかしたら、人間だから、頑張るのがバカらしくなったりもするのかもしれない

常連様がたは相変わらず滅多に誰も物販来てくれないけど(笑)「自分ばかり出演者さんと喋って得な思いするぞ!」ってお客さんが居たら、こっちももしかしたら人間だから、「自分ばかり得な思いしよう!」って人間になっちゃうのかもしれないと思っている

「この人たちだけは裏切れない」と思える人がたくさん居ることは本当に素晴らしいこと…と思ったりする朝

ジャーナリストと言うかマスコミ志望でそれ系の大学行ってたし、むかし雑誌や書籍の記事とかも書いてたけど、後藤さん死んだニュース見て、これとか仕事で何百字以内の記事に起こせ、クリックさせるためにタイトルをキャッチーにしろって言われても無理だから早々にマスコミ業界の人になるのは諦めて良かった、あぶないあぶない

人間の生死に限らず、いわゆる「何か血の通っていて温度のあったものを、自分の手を通じて淡々と客観的冷静なものにする」とか今考えればぜんぜん向いてねーな

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