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読書録【モモ】

大人にも読まれる児童文学、有名な名作なので改めて書くものでもないけれど、読み直して改めて考えたことを書き残しておこうと思う。

ミヒャエル・エンデ「モモ」

一度読んだことがあり、そのときにもぼんやりとその意味は考えたように思うのだけれど、改めて読んだ。時間泥棒が出てくることは覚えていたけれど改めて読めばほとんど内容は忘れていたなと思う。
※以下、内容にも触れています

今回読んで改めて印象に残ったのは、地の文で時間について記すこの言葉。

時間とはすなわち生活なのです。そして生活とは、人間の心の中にあるものなのです。
人間が時間を節約すればするほど、生活はやせほそって、なくなってしまうのです。

これは、時間泥棒(時間貯蓄銀行)が現れ始めた頃の描写に現れてくる、時間についての説明。ここにいう「生活」とは、一般的な生活、とは異なっていて、「心の中にあるもの」であり、時間を節約するほどにやせほそってしまうという。
もちろんいわゆる日常生活であっても、時間を節約しようとしたり効率化のみを求めようとすれば、「生活」らしさは失われてしまうと思うけれど、ここでいう「生活」はどういう生活のことなのだろう?と考えさせられた。(もしも単純に、効率化や節約が悪なのだとしたら、家電や様々な便利なものに頼り時間を節約する現代の便利な暮らしのなかに生活はない、ということになってしまう!)

モモで主張される、(人間らしい)時間の使いかた

では、モモの物語におけるやせほそっていない生活、時間の在り方とは?
人間らしい、あるいはゆたかな時間の使い方、ともいえるかもしれない。 なかなか最後までそれをうまく消化しきれていなかったのだけれど、
ひとつはモモと灰色の男たち(時間泥棒)が対峙する場面から、そしてもうひとつはモモが時間泥棒の貯蔵庫から、美しい時間の花たちを解放して元の生活に戻った物語のフィナーレの部分から、読みとけたと思う。
(余談:人がそれぞれに美しい時間の花を持っている、という描写そのものが、世界に一つだけの花をほうふつさせる!花という描写って素敵)

ひとつめの部分は、モモが、いっときこの世界から姿を消して、その間にモモの友だちたちもが灰色の男たちによって時間を節約する社会の仕組みにはめ込まれたあと。その後、彼らを助けるためにモモと灰色の男たちが話をすることになった場面での、モモに向けた灰色の男の台詞。

「率直に話し合おうじゃないか。おまえはかわいそうに、ひとりぼっちだ。おまえの友だちは、おまえの手のとどかないところにいる。おまえは時間をわけてやろうにも、もうだれもあいてがいない。(中略)たったひとりでありあまるほど時間をかかえていても、いまのおまえにはなんになる?心にのしかかる呪い、息もできなくさせる重荷、おまえをおぼれさせる大海、おまえを焼きつくす拷問じゃないか。おまえはあらゆる人間から切りはなされてしまったんだ。」

そして、二つ目は、その後モモが灰色の男たちを追い、貯蔵庫にあった時間の花を開放したのちの、日常が戻った場面。

「大都会では、長いこと見られなかった光景がくりひろげられていました。子どもたちは道路のまんなかで遊び、自動車でゆく人は車をとめて、それをニコニコとながめ、ときには車をおりていっしょに遊びました。あっちでもこっちでも人びとは足をとめてしたしげにことばをかわし、たがいのくらしをくわしくたずねあいました。仕事に出かける人も、いまでは窓辺のうつくしい花に目をとめたり、小鳥にパンくずを投げてやったりするゆとりがあります。お医者さんも、患者ひとりひとりにゆっくり時間をさいています。労働者も、できるだけ短時間にできるだけたくさん仕事をする必要などもうなくなったので、ゆったりと愛情をこめて働きます。みんなはなにをするにも、必要なだけ、そして好きなだけの時間をつかえます。いまではふたたび時間はたっぷりとあるようになったからです。」

ここでいう、人間らしい時間、時間のゆたかな使い方とは、時間を自分だけでなく誰かに分け与えること(モモにできたことのうちに「あいての話を聞くこと」があったのは、これにあたる)、
共有すること、愛情をこめて過ごすこと
そして、究極的には、「必要なだけ、そして好きなだけの時間をつかえる」すなわち、自分の意志で時間を使うということなのかなと思う。

モモは昔の話とも、あるいは近未来の話とも、どちらにもとれる(し、そのように語られた、という設定)。
現代でさえ、「ゆったりと愛情をこめて」はたらくための、時間や精神的な余裕なんてないかもしれない。でも日々のちょっとした時間の過ごし方にはこうして、誰かに自分の時間を分け与え、与えられ、そしてその中に互いに思いを込めながら時間を過ごす、ということを意識できるのかな、と思う。

自分自身のことを振り返れば、もう少し若かったころよりも、誰かと「時間を共有する」ことの大切さやはかなさ、ゆたかさ、が理解できるようになってきた。いまのほうが、ずっと人間らしい時間の過ごし方が出来ているのかもなと思う。



Photo by Heather Zabriskie on Unsplash

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