#185 琉球紙の歴史と「芭蕉紙」
『紙について楽しく学ぶラジオ/Rethink Paper Project』
このラジオは、「紙の歴史やニュースなどを楽しく学んで、これからの紙の価値を考えていこう」という番組です。
この番組は、清水紙工(株)の清水聡がお送りします。
よろしくお願いします。
今回の舞台は、沖縄です。
個人的に沖縄は大好きな土地でして。
きれいな海と、おいしいごはんと、あの日本と東南アジアが融合したような独特の雰囲気が本当に素晴らしいですよね。
沖縄料理と泡盛があれば、勝ち確定ですね。
さて、そんな沖縄ですが、実は色んな工芸品があるんです。
「シーサー」に代表される焼き物、伝統楽器の「三線」なんかは、皆さんもご存知かと思います。
そんな多種多様な工芸品がある中、今回ご紹介するのは、和紙です。
という訳で本題に入っていきましょう。
琉球紙の歴史
沖縄での紙漉きの歴史は国内では浅く、1686年に、首里王府の命令で関忠雄(かんちゅうゆう)が薩摩に渡って、杉原紙・百田紙(ひゃくたし)などの技法を学び、持ち帰ったのが最初と言われています。
彼が琉球に戻ると、現在の首里金城町に製紙所を建てて、紙漉きを始めます。
沖縄の歴史に初めて紙漉きが登場するのは、1694年のことです。
琉球に紙漉きの技術が入ると、その後は、石垣島・西表島・宮古島などにも製紙所が続々と建っていきます。
最初は、杉原紙や百田紙のような楮を原料とした紙を漉いていましたが、楮が足りず、1717年に、糸芭蕉を原料とした「芭蕉紙」が開発されます。
楮紙も芭蕉紙も、沖縄で漉かれる和紙のことを総称して「琉球紙」と呼びますが、今回の主役は「芭蕉紙」です。
芭蕉紙の製法
「芭蕉紙」と聞いてもピンと来ないですよね。
それもそのはず。
現在、芭蕉紙を漉いている職人さんは数名。
先日、沖縄で芭蕉紙を漉かれている職人の坂さんに、芭蕉紙について色々と教えて頂きました。
ちなみに、坂さんは関東地方のご出身で、前職のお仕事を辞められて、その後、沖縄に移住されて芭蕉紙を漉かれています。
芭蕉紙の伝統を繋げようと、尽力されています。素晴らしいですね。
まずは、製法。
今回坂さんに教えて頂いた漉き方は、あくまで、坂さんの漉き方です。
芭蕉紙の製法には、色んな説があるので、ご承知おきください。
まず、原料となるのは「糸芭蕉」。
沖縄を中心に日本の温暖な地域に栽培されている、バショウ科バショウ属の多年草です。
草丈は4~5m程まで成長します。
東南アジアで栽培される、同じくバショウ科の「マニラ麻」ととっても似た植物です。
まず、糸芭蕉を釜で炊いた後、繊維を細かく切断し、ビーターで叩き解していきます。
出来上がった芭蕉パルプを水に混ぜて、ネリを入れて分散させます。
漉き方は、溜め漉き。
とにかく、とっても手間がかかっています。
出来上がった芭蕉紙は、リグニンが多く漂白をしない為、やさしい褐色の紙に仕上がります。
芭蕉の繊維と非繊維細胞のようなものが混じった独特な風合いが特徴です。
個人的に、とっても好みの紙です。
明治時代に途絶え、復活した芭蕉紙
さて、そんな芭蕉紙ですが、需要も落ち着き、手間がかかるため職人からも敬遠されて、明治時代に途絶えてしまいます。
時がたった1978年。
島根県の出雲和紙の職人であり人間国宝の安部榮四郎氏と、弟子の勝公彦氏が尽力して、芭蕉紙を約100年ぶりに復活させます。
芭蕉紙復活の立役者の勝さんはその後亡くなってしまいましたが、その弟弟子の安慶名(あげな)さんという方は、現在でも芭蕉紙を制作されています。
そして、今回お話を伺った坂さんも。
現在では、小物や、内装材などに使われているようです。
白くて美しい和紙も素敵ですが、沖縄独自の原料で作られたやさしい風合いの芭蕉紙も本当に素敵です。
芭蕉紙を作り出した沖縄の職人さん、復活に尽力された安部さん、勝さん、それから現在芭蕉紙を漉かれている職人さんの技術・伝統・想いが未来に繋がるといいなぁと願います。
はい、という訳で、沖縄の伝統的な和紙「芭蕉紙」について解説してきました。いかがだったでしょうか。
それでは、本日も最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。
▼坂さんの工房「TSUTO」
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