vol.5_「話し言葉」の文化のイスラム世界に受け入れられた紙

こんにちは!"RETHINK PAPER PROJECT"のシミズサトシです。
本日もご覧いただき、ありがとうございます。

さて、前回は紙が、東アジア諸国、そして、日本に輸出されたというお話しでした。 

仏教が広告媒体として紙を使った。更にそれが、写経、つまり仏教の経典を書き写すことに功徳があるというニーズによって花開いたという話でした。
仏教と紙の相性が非常によかったんですね。
仏教が東アジア諸国に伝わっていくとともに、紙も普及していきました。

そして、仏教のみならず、生活にまで取り入れられていくようになりました。
韓国のオンドルが象徴的な例でしたね。日本の油団の元になった加工紙です。

そして遂に、日本に紙が輸入されました。7世紀のことです。
日本は、中国の文化を丸々取り入れて、でも、自国の文化にうまく取り入れていきましたよね。
「紙屋院」で紙の品質向上に、国をあげて取り組みました。
その結果、和紙という唯一無二の素材に育て上げ、障子や襖といった日本の文化に大きく寄与しました。
更には、兵器にも、和紙を使いました。風船爆弾です。日本のテクノロジーを応用する技術、本当に凄いですよね。

前回はそんな感じのお話でしたが、今回は、東アジアで隆盛を極めた紙が、イスラム世界に渡っていく、というお話をしたいと思います。

今回も、よろしくお願いいたします。

■紙が伝わりにくい文化だったイスラム世界

まずお伝えしておかなくてはいけないのが、イスラム世界は、紙を受け入れる前提条件が、中国とは全く違っていた、ということです。

中国は、紙ができるずっと前から、「書き言葉」が文明を支えてきました。一方のイスラム世界はどうだったかというと、ずっと「話し言葉」の文化だったんです。イスラム教の預言者であるムハンマドも読み書きができず、書記官に話し伝えたことが知られています。
つまり、イスラム世界は、紙をそもそも必要としていない文化だったと言えます。

紙に限らず、テクノロジーは往々にして、そのテクノロジーを「使うことが出来るか」が、テクノロジーを受け入れる為の鍵となります。
例えば、2000年前の人たちにスマートフォンを渡したところで、彼らがそれを使うことができなければ意味がありません。
同様に、書く文化がない人たちに、書写媒体としての紙を渡したところで、彼らは紙を使うことはないでしょう。

しかし、そのイスラム世界が、紙を使い始め、とんでもない技術改良を加えていき、最終的には、紙によって文化を発展させていくことになるのです。
さぁ、その経緯を見ていきましょう。

■書き言葉の文化は、聖典の書き写しから始まった

先述の通り、イスラムは「話し言葉」の文化でした。

しかし、7世紀前半に、預言者ムハンマドがイスラム教を創始したことによって、文字が徐々に使われ始めていきます。
ムハンマドは、神の言葉を記した『クルアーン(=コーラン)』を書記官に口述筆記させます。

ムハンマドが生きている間は、『コーラン』の複写はほんの数部しか存在しませんでした。(ちなみに、イスラム教が、今でも暗記を重視しているのは、この時の影響が大きいとされています。)

しかし、ムハンマドが亡くなった632年から1年後、『コーラン』を口で伝えていく人たちが、めちゃくちゃ戦死します。
すると、「イスラム教の布教のためには、口で伝えていくだけではダメだよね?」となり、『コーラン』の写本の増刷に繋がっていきます。

つまりここで、書写媒体の需要が高まっていくわけです。

ちなみに、『コーラン』の書写媒体は、イスラム世界で紙が使われ始めても、保存性があるということで頑なに羊皮紙を使っていたそうです。#保存性は大事

■イスラム世界に受け入れられた紙

預言者ムハンマドが亡くなった後、イスラム帝国はどんどん勢力を拡大していきます。
アッバース朝と言われる時代の最盛期には、イベリア半島から中央アジアまで支配が及びました。
#バケモノみたいな大きさの帝国
#ちなみに過去最大の帝国は第一次世界大戦の頃の「イギリス帝国」

イスラム帝国の人たちの特徴を言うと、他の地域の文化とか学問を広範囲に取り入れるのに長けているんです。
実際に、イスラム帝国を大きくしていく中で、遠征先で数多くの学問を吸収し、自分たちのものにしました。
中国人からは「製紙」と「錬金術」、エジプト人やシリア人からは「商業」、ギリシャ人からは「水工学」、北アフリカやスペインやシチリア島からは「土木工学(橋、ダム、水路の建設など)」を、それぞれ学んだのです。

アッバース朝の初代カリフの時代の書写媒体は、パピルスでした。
(カリフっていうのは、ムハンマドが亡くなった後の、イスラム社会の最高指導者のことを言います。)
しかし、第5代カリフのハールーン・アル=ラシードの時代(786年〜809年)に、彼は一気にパピルスとか羊皮紙から紙への切り替えを断行します
ちなみに、このアル=ラシードの時代は、アッバース朝の最盛期と言われていて、彼同時に「偉大なる皇帝」として語り継がれているそうです。

まず彼は、図書館に保存される記録文書を、それまでは羊皮紙が使われていたんですが、全て紙に切り替えます。
こうなってくると、紙の大量生産が求められますよね。
製紙技術自体は、中国から習得しているんですが、更に彼らは、製紙工程を大幅に改善する、大きなイノベーションを起こすことになります。

「水車」を利用したんです。
これは、彼らがギリシャで学んだ「水工学」の知識などを応用したもので、彼らなくしてなしえなかった技術開発と言えます。
この水車の利用は、生産性を大きく向上させ、なんと、産業革命で機械抄紙が始まるまで使われ続けます。

■知識の宝庫

先ほどもあった通り、イスラム教徒は、知識を吸収する天才です。
というのも、『コーラン』は、「よきイスラム教徒は知識を求めるべきだ」と教えているからなんです。

そして、彼らは、多くの学問や文化を書籍にしていきます。

十進法とかインド数字なんかの、今でも使われている「数学」や、その数学を応用した「天文学」、それから「建築」などなど、多くの学問や、学問以外にも、「詩」「物語」を書いたものや、「料理本」が人気になったそうです。

一大ムーブメントを起こした『千夜一夜物語(通称、「アラビアンナイト」)』は、めっちゃ有名ですよね。
それから、料理本なんかは今の僕たちにも当たり前のものですが、その文化を作ったのは彼らだったんですね。

書籍にするときに、内容を書き写す「書記官」と呼ばれる人たちがいるんですが、当時のイスラムでは尊敬の対象だったそうです。
今でいう、プログラマーみたいな感じですかね?(笑)

そうした書籍の文化が根付いていくうちに、図書館は「知の宝庫」になっていきます。
当時のヨーロッパでは、数百冊もあれば大きな図書館と言われていましたそうですが、イスラムの図書館は、数千冊から、多いところだと数十万冊という書籍を所蔵していました。
#桁違い

そして、彼らの知識は、後の世界に大きく影響を与えていくことになるのです。

はい、本日は、イスラム文化に紙が渡った、というお話しでした。
知識の集積所だったということもあって、製紙技術や、紙を使う文化も一気に広がって行きました。

そしてこの後、紙はついにヨーロッパ大陸に渡ります。そして、数々のドラマを起こしていきます。この後も必見ですよ!

それでは、本日はこの辺で失礼いたします。最後まで読んでいただき、ありがとうございました。


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